ふるふる図書館


第18話 グンナイ・ベイビー good night baby 1



 まことみごとな失言であった。
「今俺がいいこと言った」なんて、きっとドヤ顔してたんだろうな、ああ恥ずかしすぎる。俺の黒歴史がまた一ページ(屋良有作のナレーションで)。
 羞恥のあまり、病人をほっぽり出して逃げてしまった。木下さんは、俺が来たときも、メシを食って帰ろうとしたあとも、俺をひきとめようとしてた。「帰らなくていい」というのは、つまり、「帰るな。ここにいろ」という意味だったんじゃないだろうか。なのに俺ときたら……。
 木下さん、「お前が抱いている俺のイメージを壊したくなかった」って言った。どんなイメージを持たれてるって思ってるんだろあの人。いつも陽気でハイテンションで楽しそうな人? じゃあ、たまにやる、俺をドキッとさせる表情は、完璧に無自覚ってこと? 俺が勝手にドキをムネムネさせてるだけ?
 うつらうつらしながらそこまで考えが及んだ瞬間、頭が勢いよく跳ね起きた。その振動が伝わったのか、目の前の黒いかたまりが動く。
「え……? なに? コーキ?」
 黒いかたまりから、驚きがにじむ、寝ぼけたようなかすれ声が出てきた。木下さんのこういう無防備な声はずいぶんレアだ。目がさめてみたら、帰ったはずの俺が脇でベッドにつっぷしていたらそりゃびっくりするだろう。
 眠るつもりはなかったけれど、木下さんを起こさないよう暗がりのまま、静かにかたわらに座って待機していたら、睡魔に襲われてしまったものらしい。俺は床に座ったまま居住まいを正した。起き上がった木下さんの顔は、カーテンが閉ざされた部屋のなか、ぼんやりとしか見えない。急に電気をつけたらまぶしいので、そのまま薄闇にしておく。
「具合はどうですか」
「うん? だいぶ復活したけど。お前はなんでここにいんの」
 うわ、怒ってる……? しかしここでくじけちゃなんねえ。
「謝るためです。さっき俺、気持ち悪いこと言ったから。それと、病人を置いて帰っちゃったから。木下さんが起きるの待ってました。すぐにお詫びをしようと思って」
 すみません、と、俺はふかぶかと頭を下げた。
 木下さんは、目をこすって頭をかいた(らしい。木下さんの形のかたまりがそういう動きをした)。
「帰っては、いないだろ。鍵を閉めてドアポケットに入れたなら開けられないはずだし。お前が鍵を持ち出すはずもないし」
 病み上がりで寝起きの割には鋭い。
「はい。一度、玄関を出ました。出てからすぐに反省しまして。ドアの向こうで、戻るべきか葛藤していたんです」
 葛藤、というよりも悶絶だ。「なにをやらかしたんだ俺の馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!」を五十回くらい反芻した。「さっさと戻って謝るべきだとわかるけど、どの面下げて木下さんの前に出ればいいんだ、いやいやでも次にバイトで会うときはもっと気まずくなるに決まってる、でもでもだけど」も百回くらいリピートして、やっとこ戻る決心がついたのだった。ヘタレにもほどがある。あまりに情けなさすぎて、葛藤の詳しい内訳を申告するのははばかられた。
「お前が葛藤しているときには俺はすでに寝てたってわけか」
「そうです。俺がぐずぐずしていたせいで」
 懐にドスを呑んで乗りこむがごとき覚悟で再び敷居をまたいだものの、肝心の木下さんはもはやすやすやとお休みになっておられたのである。
 木下さんがふーっと息を吐く音がした。
「よかった」
「へ?」
「お前がすぐに戻ってきてたら、俺のアヤシイ変顔見られるとこだったわ」
 例によって例のごとく、謎なことを言う。

20150112
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