ふるふる図書館


第14話 キッチン・アンド・タクティクス kitchen and tactics 2



 アパートというと俺がイメージするのは、歩くたびに音がカンカン鳴り響く金属の外階段があるレトロな建物だ(たぶんドラマか漫画の影響)。しかし木下さんの住んでいるところは鉄筋コンクリートの建物の真ん中をくりぬいて階段を作ったような感じで、だからちゃんと階段の上には屋根がある。木造のぼろアパートとかではない。トキワ荘みたいなのでもない。バスもトイレも部屋にある。
 それにしても、自分の住居に門がないとか、ひとつの建物のひとつ壁を隔てたところに赤の他人が暮らしているとかそういう点は、一軒家にしか住んだことのない俺には不思議な感覚だった。部屋のドアが並んでいる外廊下は共有スペースのはずなのに、自転車やら傘やら鉢植えやらが、それぞれの住人のドアの付近に配置されて、ミニマムな庭か物置みたいになってる。勝手に持ってかれちゃったりしないかと他人事ながらちょっとハラハラする。
 木下さんの部屋は一番上、二階の一番奥の角部屋なのでありがたい。知らない人の部屋のドアの前を通過していくのはちょっと落ち着かないが、木下さんの部屋に入ると妙にほっとする。防音対策もしっかりしているようで、隣人や往来の音も聞こえない。
 俺は食材をレジ袋から出して冷蔵庫に入れたり台所に並べたりしながら声をかけた。
「木下さんは好きなことしてていいですよ。ちゃっちゃと作っちゃいますから」
「俺もなにか手伝うよお」
「うーん、それはありがたいですけど」
 狭いキッチンで、大の男がふたり立つ余裕はない。
「だってコーキの料理するとこ、眺めていたいんだもーん」
「そんな、盗むに値するようなテクなんてないですよ?」
 ああ、里美さんには一度も料理作らなかったな。女の子に俺が料理を作るなんて、失礼なのかな。でもな、誰かになにかを作るって楽しいもんなあ。
「サトミちゃんには手料理ふるまったりすんの?」
 ぎく。なんでこの人、いつも俺の心を読むかなあ!
「しません、よ」
「なんで?」
「女の子に作ってあげるなんて、なんか、変じゃないですか?」
「そーか? そんなことないだろ。お前がプロめざしてるの知ってんだし」
「それに、弁当ならともかく、その場で作るならどっちかの家に行かなくちゃいけないし」
「いいじゃん。それますますいいじゃん」
 木下さんは俺を応援しているのか。うん。そうだよな、彼女を作れというミッションの、もともとの言いだしっぺだしな。
 鳥の胸肉に包丁を入れながら、俺はざっくり考えをまとめた。これ以上、里美さんのことを黙っているのはよくない。早めにカムアウトしよう。言った上で、木下さんのあれやこれやを聞き出そう。このタイミングなら、はぐらかしたりせずにちゃんと答えてくれるにちがいない。俺がへこんでるところを見たら、さすがに木下さんが若干鬼畜入っててもしっかり受け答えしてくれるだろう。そーだそーだそうしよう。
「うわあ!」
 脳内サミットに没頭するあまり、すぐ横に木下さんが立ってることにまったく気づかなかった。てゆーか、近っ! 近すぎ! もし俺がゴルゴ13だったら反射的にトリガーひいてる(そもそもうかつに脇に立たれることはないはずだが)。
「びっくりしすぎだろお前」
 木下さんは吹き出したあと、俺の手元に視線をやって、ほんの少しだけ真面目に尋ねた。
「大丈夫か? 今、刃物で怪我しなかったか?」
「はい、大丈夫です……」
「ほんと、精魂と丹精こめて料理してんだなあ。俺の声、聞こえてなかっただろ」
「えっ」
 包丁を持っているので、赤くなったほっぺたを隠すことができなかった。遺憾。きわめて遺憾。
「すみません、俺、もしかしてシカトしてました?」
「ほんとに楽しんでやってるんだなあ、見ててわかるよ」
 ちがうんです、黒い策略を巡らせていただけなんです。後ろめたいわ……。
「でもサトミちゃんの前では夢中になりすぎないように気をつけろよー。俺は平気だけどさ」
 ぴた、と俺の動きが止まった。
「そうですよね。だから女の子に嫌われるんですよね」
「ほえ?」
 木下さんが目をぱちくりさせているのがわかる。俺はうつむいてまな板の上の胸肉を凝視してたけど。どうしよう、なに口走ってんだよ俺。ここでぶちまけたら、メシまでの時間がずっと微妙な空気になるだろうが。どんな苦行だよ。ブッダに一歩近づいちゃうじゃん。
 ここは明るく「いやー実はふられちゃったんですよえへへ」と頭をかいて、「ふられてBANZAI」でも歌っておくか?
「お前が嫌われてるなんて話、聞いたこともない。また変な思いこみか?」
 思いこみなんかじゃなくて、事実です。ふられちゃったんです。で、こうしてバイトの上司の家で料理作って気を紛らわせてるんです。木下さんを、利用してるんです。俺はそんなちっちぇえ人間なんです。木下さんが、知らないだけです。
 ああ、ぐちゃぐちゃ考えてると鼻の奥がつんとしてくる。
「そうですか? ならいいんです」
 へらりと笑って、俺は包丁を握り直した。シリアスな話はまた後でだ。
 でも、ほんとに、話していいのかな。俺は木下さんと単に楽しい時間を過ごしたいんじゃないのかな。重たい雰囲気で向き合う、だなんてそういうことは俺も木下さんも、望んでいないんじゃないのかな。
「よし、すぐに作りますから、待っててくださいね」
 悩んでいてもしかたない、まずは目の前の作業に集中しよう。食事ができたあとどうなるんだろうかなんて、考えずに。

20120422, 20140904
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