ふるふる図書館


第13話 グッド・アイディア・ジャンキー good idea junkie 2



「まずはマイルドに、名前の呼び合いからかな。じゃ俺、先攻とっぴー」
 マイペースにしてフリーダムに宣言。いやはやぶれない人だな、驚きの安定感だな、と感心してたら、木下さんはちょっとうつむいて、ちょっと内股気味になって、俺をほんのかすかにもじもじしながらまぶしそうな視線で見た。ナンデスカこの生き物。急にスイッチ入ったよーに別人なんですけど。
 木下さんがむだにものまねが達者なことを思い出した。藤本さんも言ってたな、高校んときからそういう芸当に長けてたって。
 すこぶるいやーな予感がした。
 そしたら案の定。目の前の生き物が静かに唇をひらいた。
「桜田君……」
 うっわ。きたよ。なんだよこれ里美さんより女の子っぽいじゃんよ!
 いやもしかしたらこーゆーふうに俺を見つめてこーゆーふうに名前を呼んでくれる可能性もあったかもしれないけど、それはもう穴ぽこのあいた落下傘のごとくぐーんと急降下したわけで。海抜ゼロメートル地帯に達したわけで。
 俺は必死に動揺を押し隠した。
 里美さん(になりきっている木下さん)がミッフィーちゃんみたいにわずかに首をかしげて俺の台詞をじっと待ってる。えと。えっと。ええっと。
 名前で呼ぶ。名前で呼ぶ。名前で呼ぶ。
「え、え、え、え」
 ヒップホップDJにスクラッチされてるレコード盤か俺は。ふっと息を吸いこみ、吐き出す勢いで口にした。
「恵利さん」
 言ってから「タンマタンマタンマタンマ!」と俺はまたもやスクラッチされてるレコードみたく繰り返した。なんか、なんか、なんか、すさまじく恥ずかしい!
「しっ、下の名前で呼ぶなんて、ハードル高すぎですよ……」
 俺は顔を両手で覆ったり頭をかきむしったり天井仰いだりしゃがみこんだり人里に下りた熊よろしくぐるぐるその場をまわったりと、完全に不審人物になりさがった。
 木下さんは、続行不能と判断したのか、素に戻っている。
「エリって? サトミちゃんはどこ行ったんだ?」
「だから里美さんですよ。里美恵利さん。あーあもう。名前で呼んだことなんかなかったなあ」
 うっかり過去形になってしまったが、現在完了形だと思ったらしく木下さんからこの点についての指摘は入らなかった。
「照れすぎじゃないか?」
「照れ……っていうのか。とにかく苦手です。あんまり他人のこと、名前で呼ばないから」
「オサナナジミ君は?」
「涼平は……幼稚園児のときに知り合ったんですよ? 名字で呼び合う五歳児ってめったにいないんじゃないですか? 今さら大野なんて呼ぶ方が変だし」
「喫茶店の鉄面皮は?」
「レイさんは……。会ったときは名字知らなくて、しばらくレイさんだったからそのまま定着ってことで」
 でも、考えてみるとおかしい。なんで平気な人とそうでない人がいるんだろ。相違点はなんぞや。はて。

20110919, 20140904
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