ふるふる図書館


第12話 トクシック・ハグ toxic hug 2



 そうだよな。おかしいと思った。
 どこぞのエロゲでもあるまいし俺みたいに平凡でしがない冴えない人間が、いきなり彼女にしてほしいって申し込まれるなんて、違和感に気づくべきだったんだ。
「俺は男に興味ありませんっ。内股気味の可愛い女の子がいいんです。それに! 木下さんだって、俺のことそんなふうに見ているわけじゃないですし! もしそうだったら、もっと隠れてこそこそとべたべたしてくるはずでしょう!」
 俺は当然、強く強く訴えた。あの人の開けっぴろげすぎる性格のせいで、知らないところであらぬ誤解を受けてんのか! ああもう。
 そこではたと、ある可能性が脳裏に浮かんだ。
「ま、まさか、その友達に俺の調査結果を報告するとか、じゃないですよね?」
「え、や、そんなことしないよう。純粋にあたしの単独プレイですよ。あのね、本当にごめんね?」
 いいですよ、と俺は手を振った。真に受けてひとり相撲していた俺が馬鹿だっただけだ。里美さんが語を継いだ。
「別れるとか、ふったふられたとか、そういうのじゃないんだよ。桜田君の経歴はまっさらで真っ白ですよ。ご心配なく」
 はなからそういう関係ですらなかったってことか。闇に葬られるべき黒歴史ってことか。俺はがっくりしてしまった。ほんのひと月にも満たないお付き合いをカウントして歴史に残すよりは、最初からなかったほうが俺の経歴に傷がつかないっていう配慮だろうか。俺の彼女いない歴二十年という記録の塗り替えは、かなわぬ儚い夢だった。
「勝手に舞い上がった俺が悪いってわかってます。でも……。正直言って、俺はなかったことにしたくないです」
 こないだレイさんの車の中で涼平に言われたことを思い出した。木下さんとどんな関係になりたいのかって質問されて、人とのかかわりに将来の展望なんてあるんだろうかと不思議だった。でも里美さんとは、こうなりたいっていう願望があったんだ。それを教えてくれた唯一の人が彼女だった。
「ありがと。やさしいね」
 里美さんは少し笑った。ちがう、別にやさしさじゃなくて、わがままで言っているだけだ。だって、里美さんを困らせてしまうから。腕を組まれたぐらいの清い接触しかなくて、そんなの世間的には彼氏彼女って呼ばれないのはわかってる、けど。
「でも、あたしは彼女失格だからね。それに……これはいやがらせなんだよ、木下さんへの。意地悪なの」
「へ?」
「木下さんが彼女を作れって言ったんでしょ? それには乗ってあげないよってこと。あたしだって、気前よくどうぞどうぞって笑顔で譲ってあげるほどお人よしじゃないんだから。あたしだって……」
 里美さんがなにを譲渡するのかは知らないけど、そんなことより。
「俺への疑惑は、きっちり晴れたんでしょうね? ちゃんと、友達にも言っておいてくださいよね」
 俺が念を押すと、里美さんはおちゃめな顔して「ん?」と小首をかしげ肩をすくめてとぼけてみせた。あたかも、「暴れん坊将軍」のラストシーンで爺から見合い話を持ちかけられて逃げる吉宗のよーに。
「ちょっ、ほんと、頼みますよー」
 まったく、冗談好きなんだからー!

 妖怪おばりよんか子泣きじじいのように背中に張りついている木下さんが重い。苦労してロッカーの扉を閉めながら、せっせと頭の中で受け答えのシミュレーションをした。
「昨日言いましたよね? 彼女とうまくやってるって。だからくっつかないでください」
 と言ったとしよう、
「あれー? ひょっとして俺のこと意識してんのー? やっだーもう」
 とか返されそうな気がする。あ。じゃあ、彼女と終わりましたってカムアウトしたら、木下さんはすんなり解放してくれるんだろうか。一筋縄じゃいかなそうだけど。
「よそでうわさになってるらしいですよ? 社会的地位にかかわるから控えたほうがいいですよ」
 なんて大人の余裕をかましながら諭してみようか。
「だってお前には彼女がいるんだから関係ねーじゃん」
 などと一蹴されて終わるかな。そうだ、木下さん自身が言ってた。俺の二十歳の誕生日祝いのとき。ふたりで出かけたって誰もデートだと思わないだろって。うんうん、わかってんじゃん、変な妄想する人のほうが特殊なんだ。よかった。いやよくない。この案もボツか。
 はあ。
 里美さんの言うように、彼氏彼女の関係は反故になりました白紙です、と教えたらそれは木下さんに意地悪することになるんだろうか。さっぱり意味不明なんだけど。

20091012
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