第12話 トクシック・ハグ toxic hug 1
よもやそんな言葉が出るとは。ついさっき、俺を連れ込み旅館(死語)に文字通り連れ込もうとしていた里美さんの口から。誘いを断ったから愛想を尽かされた? それともやっぱり俺、彼氏失格? 同じ考えばかりが頭の中をぐるぐる旋回して、どうしたらいいのかてんでわからず立ち尽くしてしまう。
「桜田君のことを嫌いになったとか、そういうのじゃないし、桜田君はなにも悪くないよ」
フォローなんだろうか。びっくりしすぎて涙も声も出ない俺に対しての。
「ごめんなさい」
そんな、謝られたら決定的じゃんか!
「理由、聞いてもいいですか」
俺ののどからやっと声が出た。かすれていて、小さくて、自分のじゃないみたいだ。
里美さんは、うん、とうなずいた。
「話さないといけないね」
俺の目をじっと見る。俺は視線を伏せたくなるのをこらえて、真相が語られるのを待ったのだった。
翌日のバイトは、木下さんとシフトが重なっていた。よりによってこんなときに。
「さっくらだー! はーわーゆー?」
俺はI'm fineともthank youとも言いたい心境ではなかった。しかし木下さんは、and you? なんて聞き返さなくても一目瞭然なほど元気いっぱいだ。マジうっとうしい。けど……ありがたかった。俺の傷心に気づかないで能天気に接してくることが。
いや。
なんか、変だ。おかしい。
「そんな接近しないでも! 俺の耳は遠くないんで!」
始業前のロッカールームで、やたらくっついてくる。コバンザメかよ。蓋にはりついた焼売かよ。火を通しすぎて金網からはがれない餅かよ。焼くの失敗してフライパンにこびりついた餃子かよ! うざすぎる。俺が早く出勤してきたせいで室内にはほかに誰もいなかったのだが、感傷に浸る隙はみごとになさそうだった。
昨日の情報は上書き更新していない。俺は、彼女と手を取り合ってめくるめく大人の花園へ飛びこんで、ラブラブでアツアツな交際をしていることになっているはずだ。じゃあなんで、こんなにべたべたしてくるんだ? ほらやっぱりこの人、単に馴れ馴れしすぎてフレンドリーすぎるだけなんですってば、里美さん。
昨晩里美さんからもたらされた真相は、恐るべきものだった。
以前、友達と一緒にうちの店に来たことがあるという。
俺の姿を遠くから発見して、里美さんは予期せぬ再会におどろいた。そのようすに、友達が「知り合い?」と尋ねた。
「あ、同じ高校で」
「へー。そうだったんだあ。まさかカレシじゃないよねえ」
「なんでよ?」
「だってあの子、このお店の男の人とアヤシイ関係だもん」
「そーそ、さすがに売場じゃ堂々といちゃついてないけどさー、あれはただならない雰囲気だよねえ明らかに」
友人たちは俺のことを、そっち系だと信じて疑わなかったとか。なんということだ。
「高校んときはどうだった? やっぱそんな雰囲気じゃなかった?」
「えっ、よく知らないよー」
とっさにごまかしてはみたものの。そういえば、高校生のときも俺の押しはきわめてすこぶる弱かった。もしや、本当は俺は女の子に興味がないのではないだろうか、当時は無理してつきあっていたのではないかと、そんな疑念が頭をもたげたのだそうで。事実を追及すべく俺に近づいたという次第だったというのである。