ふるふる図書館


第11話 ターニング・ポイント turning point 2



「ちょちょちょ、ちょっと待ってっ」
 俺、やっぱり気に障るようなことした?
 子供のころ母親に怒られて、押入れに閉じこめられたっけ。どんなに足を踏んばって柱にしがみついていやだいやだごめんなさいごめんなさいって泣いて叫んで謝っても、母親ときたら太刀打ちできないくらいの怪力で、俺をずるずるひきずって狭い暗闇に押しこんだんだ。
 成人してからもあのときの恐怖を味わうとは予想だにしていなかった。俺ももう二十歳だし、バイトと料理で筋肉は培ってるつもりなんだけど! 力で逆らえない!
「ご、ごめんなさいっ。俺が悪かったです」
「なんのことよ」
「やけを起こさないでくださいっ。体は大事にしましょうよ」
「どんだけ古風なの」
「落ち着いて。ね?」
「君こそ落ち着きなさいよ。てんぱりすぎ」
「俺、お金の持ち合わせが」
「社会人なんだからあたしが出すよ」
「心と体の準備も」
「まあまあそうごねないの。あたしが恥をかくでしょう」
「う。ごめんなさい」
 これは、今日木下さんに見栄をはった報いだろうか。「もう済ませた」などとうそをついた罰だろうか。後悔と罪悪感に身悶えさせるにとどまらず、神さまはまだ俺に愛の鞭をふるいたもうのか。
 里美さんがふっと力をゆるめた。
「いじめるつもりはないよ。あんまり」
 あんまりってことは、ちょっとはあるんかい!
「ごめんなさい。俺、ほんとに里美さんのことちゃんとしたくて。責任取れないことしたくなくて。里美さんのこと傷つけたくなくて。あーでもこの態度も失礼ですよね。ごめんなさい」
 言葉を連ねれば連ねるほど、情けなくて不甲斐なくて、不覚にも涙が出そうになる。里美さんに魅力がないなんてこれっぽっちも思ってないのに。こんなに露骨に拒むなんて。
「あーずるいなあ。それ反則だあ」
 わかってる。泣くなんて卑怯だ。目を急いでこしこしこすった。
「とりあえず、移動しよ。営業妨害だし」
 つんつんシャツの裾をひっぱられて、俺たちは建物の入り口から退避した。歩行を再開しながら里美さんがしみじみとつぶやいた。
「やっぱり桜田君、いい人だね。あたしが見こんだだけのことはあるわ」
「いい子」じゃなくて「いい人」と言われたことにちょっと安心する。俺をあんなふうにあからさまに子供扱いするのは木下さんだけか。いやってほど俺のことからかって、いじめて、頭なでて、ほっぺたむにむにいじって、鼻の頭くすぐって、じゃれついて、きゅって抱きしめて、ちゅって口つけてたっけ。ったく、俺は幼児かよ? 木下さんの息子かよ? 今はさすがにそこまではされない、けど。俺が年食ったせいか?
 里美さんは話を続けた。
「でもね、いい人ってだけですべてがうまくいくとは限らないんだよね」
 うう。おっしゃるとおり。俺は忸怩として深く深くこうべをたれた。
「あのね、桜田君を責めてるんじゃないよ。あたしにそんな権利ないし」
 立ち止まる。俺も釣られて足を止めたら、里美さんが俺を見た。
「いっこ提案なんだけど。あたしたち、彼氏彼女の関係、終了させよっか?」

20091004
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