ふるふる図書館


第10話 リトル・アバブ・アベレージ little above average 2



「別にいいよ。本屋さんの中にいたから退屈しなかったしさ」
「よかった。デートが控えてるってわかってたらすぐに解放してたのに、この子真面目だからひとことも言わなくて」
 木下さんがふわりと微笑む。俺の胸の奥に、なにかが、くつんとひっかかった。
「これ、お詫びです。ロンドンに行っていたので、おみやげ」
 バッグから取り出したものを里美さんに渡した。それが彼女の怒りを収め、ご機嫌斜めをまっすぐにする仕上げだったらしい。
「わあっ素敵! いいんですか? ありがとうございますっ」
 相変わらずプレゼントがまるはだかのままなのが木下さんらしいな。瞳を輝かせる里美さんの手のひらに載った小さな四角い缶は艶消しされたメタリックピンクで、上品な彫りものの装飾が施されていた。フォートナム・アンド・メイソンで買った、いちごの紅茶だという。
「王道じゃないけれどね、缶が可愛かったから」
 職場へのみやげは、大量のビスケットじゃなかったっけ。「みんなで仲よく分けろ」という。ロンドンは物価が高いらしいからなと納得していたんだ。けど。
 またしても、小さなわだかまりが三矢サイダーの泡のように底から浮かび上がってぱちんと爆ぜた。
 その紅茶、誰のために買ってきてたんだ? 女の人かな?
 あれ、なんで女の人だなんて思うんだ? 女の人が喜びそうなパッケージだから?
「紅茶、大丈夫?」
「はい、好きです」
 女の子にやさしいんだな、木下さん。新鮮だ。はじめて見た。お客さんやバイトの子や藤本さんとは、ちがう対応だ。涼平や兄貴とも親しげだけど、また異質な気がする。
 ……あ。そうか。これがさっきからおぼろげにあった違和感のもとか。
 俺の彼女を好奇心に駆られて見に来たんじゃなかったのか、七瀬さんのときみたいに。
「それじゃあね。桜田君をよろしくね」
 飄々と歩み去った木下さんの後ろ姿に、里美さんが目を細めた。
「あの人、桜田君の保護者みたい。父兄っぽいわあ」
「そうかなあ。そんなことないよ。すごく子供っぽいし、おもしろいし、おかしいし。いつもはあんな紳士的じゃないよ」
「そうなの?」
 さすがに、上司を悪しざまに批判するのは控えたほうがいいか。
「あ。仕事はちゃんとできる人だよ。頭もいいし」
「ふうん」
 素直に鵜呑みにされると気がひける。
「変人だけどね」
「ほめたいのかけなしたいのかわからないよ?」
 里美さんが吹き出した。

 俺たちは、手近なファミレスに入った。色気がないことはなはだしいけど、ラーメン屋よりはよい選択だと信じたい。この街にはたくさんのラーメン屋があるが、どれもゆっくりくつろぐための空間ではないのだ。
 里美さんはサラダをつつきながら、地元の小さな会社で事務の仕事をしているのだという話をしてくれた。物流関係だそうだ。
「ちっちゃいところだよ。社長含めて五人しかいないんだ。あたし以外はみんな親族。倉庫にパートさんたちはいるけどね、事務所の中には来ないから、ずっと五人で顔合わせてるの。
 それにね、あたしだけ、みんなのお茶まで淹れさせられてるんだよ。二十一世紀だというのに、コンサバすぎだよねえ」
 場所を聞いてイメージが思い浮かんだ。まわりには店などなにもない。飲食店はおろかコンビニさえも。あるのは住宅地。ちょっと足を伸ばすとキャベツと大根の畑、まばらな雑木林、未開発の土地にとおった県道。
 田舎だ。雄大な自然に囲まれた田舎じゃなくて、中途半端に小さくて狭くて息苦しい田舎。
 桜田君がうらやましいなあと里美さんが言った。
 わかる気がした。俺はのんきな学生の身分で、バイトは単なる学費の足し程度で、しかも都会で、いろんな人と接することができて、いつもバラエティに富んでいて、緊張感もある。かたや里美さんは、きっかり九時から五時まで毎日代わり映えのしない仕事で。話し相手もいつも同じ人という環境なのだ。
 そんなわけで、自分がしゃべるよりも俺の話が聞きたいという里美さんの要求は、理にかなっているのだろう。俺は語るのが得意ではないけれど、そういう事情を汲んでがんばることにした。なにせ、里美さんは俺の彼女だから。
 なのに、だ。

20090510
PREV
NEXT
INDEX

↑ PAGE TOP