ふるふる図書館


第9話 スリップ・フロム・メモリ slip from my memory 3



「なんか……怒られるはずだったのに、慰められちゃいましたね。すみません」
「怒ってるよ。立派な説教だよ。ばーか」
 そう返す木下さんの声は、だけど笑ってた。
 俺は、世間一般でよく言われる「自信がない」ってキャラなのかな。よくわからない。自分を信じるってどういうことだろ。ここで働いてれば、木下さんといれば、わかるようになるかな。
「木下さんは、俺に黙ってどっか遠くへ行っちゃったり、しないんですか?」
「しねーよ。なんでそんなことすんだよ俺が」
「俺にひとこともなかったからおどろいて。あ、自分を卑下してる気はないんだけど。なにか俺に言えない事情があるのかな、だったら見送りはよくないのかなって、考えたんです。だけど、藤本さんから情報仕入れて、結局成田に行っちゃって。勝手でごめんなさい」
「謝んなよ。もしそんなことがあれば、お前にちゃんと話すし。俺のこと信じてねーの?」
 ちょっとだけ拗ねてるような口ぶり。なんで木下さんが気分を悪くするんだろ。
「そうじゃなくて。信じてないというわけじゃなくて。話したくないことは、俺に話さなくていいです。俺、そんなわがままじゃないです」
「子供なのに?」
「ゆとり世代を甘やかさないでくださいよ」
「甘やかすのはいかんが甘えさせるのは必要だって育児書にあったぞ」
「そこまで子供じゃないつもりですけどっ」
 酒も煙草も嗜めず、まともな恋愛経験もなく、空港で途方に暮れる俺はまあ、正真正銘オコサマか。
「どうして空港で、俺の勘ちがい教えてくれなかったんですか? あとで説教するため?」
「よっぽど絵はがきがほしいのかなって。絵はがき集めるのが趣味なのかなあーって」
 木下さんがそらっとぼけてにやりと笑う。ううっ、絶対わざと黙ってたんだっ。ああうう。今からあの日の俺を殴りに行きたいYah Yah Yah! 強風の中を脳内チャゲと脳内飛鳥がこぶしを誇らかに突きあげる。
「だけどさ」
 今度は、なんのたくらみも邪気もなさげな、にっこり笑顔だった。空港で見たのと同じだ。
「あのときも言ったけど。見送り、マジで嬉しかった」
 俺は妙にあわてた。
「いやっそんなこと別にっ」
「もっと恩着せがましくしてもいいよ? 電車に何時間も乗って高い金払って空港に行って、さんざん迷って、探しまわって、心細くて、大変でしたって」
 ばれてるやないかーい。髭男爵が豊かなバスで歌い上げ、満面の笑みでかちーんとグラスを高らかに鳴らした。
「わざわざ、ありがとな。そんな思いまでして、来てくれて」
 真顔。どこまでも柔らかくておだやかでやさしいまなざし。どちらも見慣れない。逃げ出したいような、そばに寄りたいような。居ても立ってもいられないとはこのことか。座っていても立ち上がったとしても、落ち着かない。進退窮まって、どうしようもなくて、おろおろうつむいてしまう。お目玉を頂戴していたほうがよっぽど気楽だ。俺はマゾか。
 おのが嗜好に思いを致していたら、木下さんがおもむろに口をひらいた。
「やっぱり俺、お前のこと」
「桜田くーん。いる?」
 なにか言い終わらないうちに、谷村さんが俺を呼びつつスタッフルームに入ってきた。俺たちを見比べて淡々と言う。
「あ。おじゃまだった?」
「うん。とおーってもおじゃまだった」
 なぜか恨めしそうな木下さんをきれいさっぱり意に介さず、谷村さんが俺に話しかけた。
「桜田君、待ち合わせしてた? 若い女の子に聞かれたんだけど。『桜田君、まだ仕事ですか?』って。ずっと一階のレジ前にいるよ」
「あっ! 里美さん!」
 しまったすっかり忘れてた。バイトの後、メシを食いに行く約束をしてたんだった。木下さんにつかまったのが三十分前だから、ずいぶん待たせてる。俺も木下さんも仕事が終わってたせいで、つい時間を気にしてなかった。あたふたと腰を浮かせた。
「サトミ?」
 木下さんが首をかしげた。そうだ、報告がまだだったっけ。
「俺の彼女……です」

20090420
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