ふるふる図書館


第9話 スリップ・フロム・メモリ slip from my memory 1



 新東京国際空港はとてつもなくでかかった。
 第1ターミナルと第2ターミナルがあって最寄り駅がちがうことだとか、北ウイングと南ウイングがあるくらいは知っていた。北ウイングは中森明菜の歌にもあるし。それにしても。
 だだっ広い。
 旅行客の群をかきわけて、彼らのキャリーケースに何度もぶつかり足を轢かれかけながら、途方に暮れそうになる我と我が身を叱咤して、俺はひとりの姿を探した。
 こんなに広くて、こんなに人が多くて、本当に見つかるんだろうか。あの人の搭乗に間に合うだろうか。便の名前やら出発時間やらゲート番号やらをメモした紙を握りしめる手のひらがじっとり汗ばんで、植物繊維の集合体はとっくにしわしわくちゃくちゃになっていた。油性のボールペンで書いてきたことだけが救いだ。
 あまりの人ごみに目がまわりそうになる。
 出発ロビーで待っていれば会えるのか? もう手続きは終わってしまったのか? 親戚一同はみんな近隣に住んでいるわ修学旅行は新幹線だったわで飛行機に乗ったことがない俺にはさっぱり想像できなかった。余裕なんて一ピコメートルもなく、焦燥ばかりがひたすらじりじり胸を焼く。
「CITY HUNTER」じゃ空港での見送りがしょっちゅうあるよな。いとも簡単そうに見えたけど、そうじゃないんだなあ。なんで俺、二十歳にもなって、こんなことくらいひとりでまともにできないんだ。無力で、ガキで、世間知らずで。人生の入り口にすら全然立ててなくて。ただやみくもで、しゃかりきで、がむしゃらで。
 うろうろさまよい続けていたが、汗を拭いて乱れる呼吸を整えるためにフロアの隅で立ち止まった。そのままぐったりへたりこみたくなったけれど、そんな時間はない。
 とにかく。落ち着かなくちゃ。諦めたらそこでゲームセットだよって安西先生も言ってる。
「あれ? おおーい桜田ぁ」
 のほほんとした呼び声が雑踏を鮮やかに飛び越して、俺の鼓膜を急襲した。
 え。
 それが誰かを脳が認識するより早く、俺の体はその場で石像になった。ゴルゴン姉妹の親戚か。
「あらー。やっぱり桜田だあ。なにしてんのこんなとこで」
 俺だと確信がないうちからそんな大声出してんじゃねーよ。まったくもう! とことんマイペースなんだから。
 ぎちぎち音がするんじゃないかってくらいぎこちなく振り向いて、バッグを肩にとてとてと歩いてくる人影を見つけて、俺を見つけてくれたんだと思ったら肩から力がどっと抜けて、喉元になにか熱いものがせり上がってきて。涙腺にも。
「よかった。会えてよかった、木下さん」
 膝からかくんと崩れ落ちるのをこらえたら、言葉とためいきがこぼれ落ちた。
 ここはまさに北ウイング。Love Is The Mystery、わたしを呼ぶの。愛はミステリー、不思議な力で。中森明菜が俺にだけ聞こえる声で熱唱している。生バンドの伴奏つきで。
 なんだよこのロマンちっくなBGMつきのドラマちっくな展開は! なにが楽しうてこの人相手に! めちゃくちゃ恥ずかしーわっ!
 いたたまれずに顔を伏せた。きっと木下さん、きょとんとしてんだろうな。目を合わせないなんてなにしに来たんだろうって怪訝になるよな。
「学校は?」
 問いかけに、俺は首をぷるぷると振って小声で答えた。
「見送り、したくて」
「そうかあ。ありがとな」
 木下さんが、つむじを向けている俺の頭をさらさら撫でた。仕種は怒るどころか丁寧でやさしかった。手を振り払うのがしのびなくて、でも思い切って木下さんの顔を見たくなって、視線だけそろそろと上げた。

20090420
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