ふるふる図書館


第7話 リフレイン・ダイアローグ refrain dialogue 3



 その夜はなんとなく、ベッドに腰かけて自分の携帯を眺めた。電波時計は時刻が正確だ。
 一秒ずつ数字が変わっていくのを、特別な日が訪れるのを、息をつめて見守っていた。全人類のほとんどにとってはなんでもない日だろうけど、俺にとっては大きな意味のある日。
 2008/07/08 TUE 00:00:00
 その表示になったとたん、携帯のランプがまぶしく七色に点滅した。ディスプレイを確認しなくてもわかる。木下さんだ。
 木下さんも、俺みたいに今この瞬間、自分の携帯をじっと見てたのかな。俺のこと考えて。
 急いでメールをひらいた。予想どおり、ハッピーバースデイメール、だったけど。
「あの人おん年二十七だろ……なんだよこのキュートすぎるデコメ」
 うさぎやらくまやらきのこやらひよこやら、メルヘンでファンシーな生き物たちが並んだカラフルな画面に吹き出して、呆れて、脱力して、一言ツッコミ入れなきゃおさまらなくなって、ソッコー木下さんにコールした。
「はあい」
 木下さんはすぐに出た。やっぱり俺と同じように携帯を目の前にしてた?
「木下さんっ。メール! きましたっ」
 俺の早口に、ほやほやとした声が返ってきた。
「それでお礼の電話? 律儀だなあ。ああ、今かけなおすよ。料金かかるから」
 あ。それって、長く話してかまわないってことだろうか。というよりも、長く話がしたいってことだろうか? 心臓が不意にことこと踊った。
「いえ、いいんです。くりこし代がすげー余ってて」
 ハピバのデコメに文句のつもりが、うっかり相手のペースに流される俺。
「一番安いプランにしてるだろ。上限オーバーしたらあっという間にかさむぞ」
「だけど、木下さんとしか俺、ほとんど電話で話さないから」
「はは、またまたあ」
 疑われた? なんでだ?
「ほんとですってば。俺は、き、の、し、た、さ、ん、だけ、ですっ」
 これで満足か。
「……この天然小悪魔」
「は?」
「可愛いなあって言ったの」
「可愛くなんかないですよってば」
「自信持てよ」
「いやそうじゃなくて」
「謙遜しなくていーよ」
「そうでもなくて!」
 俺の話を聞けい!(クレイジーケンバンド)
「木下さんだって可愛いですよ。あんなメールよこして」
「あれはお前に合わせたの」
「いーえっ。木下さんが可愛いんですー。あー、超可愛いマジ可愛いミラクル可愛い。ほんとーにかーわいーいなー俊介さんは」
 木下さんに反撃するつもりなのに、ゲシュタルト崩壊するんじゃねーかってくらい何べんもむきになって言い募っていたら、胸の奥がきゅうっと締めつけられるように痛くなった。あれか、人を呪わば穴ふたつ、呪い返しか!
「……俊介さん、可愛い」
 あ、なんだろ泣きそう。深呼吸しなくちゃ。ひっひっふー。ってなにを産むつもりだ俺は!
「公葵は、もっと可愛い」
 真剣な低いささやきが耳を無駄に優しく撫でて、空いてるほうの左手で俺は口元を押さえた。
 俺の攻撃ちっともきいてねーのかよ! 悔しくて苦しくて、涙がこぼれる。
「俊介さんは、もっと、もっと何倍も、可愛いですうー」
 えいもうこうなりゃ意地だ。
「えっと、一、十、百、千、万、億、兆、京(けい)、垓(がい)、予(じょ)、穣(じょう)、溝(こう)、澗(かん)、正(せい)、載(さい)、極(ごく)、恒河沙(ごうがしゃ)、阿僧祇(あそうぎ)、那由他(なゆた)、不可思議(ふかしぎ)、無量大数(むりょうたいすう)、無量大数倍ですっ」
「じゃあ、公葵は無限大で」
 さらっとあっさり返されて、俺はむっと黙った。それより上のものなんかねーじゃんか! 木下さんが笑い出していつもののほほんとした調子に戻った。
「よくそんな単位おぼえてんなあ」
「俺だってちっとは勉強してんです」
「たしか小学生のとき算数で習ったよーな」
「どーせ小学生レベルですよう」
「あれ、俺の言わんとしたことがよくわかったなあ。いつもだったら、『へえそうでしたっけーよくおぼえてますねー』って素直に感心して終わるくせに。さすが新成人、おりこうさんになりましたねー」
「ううー」
「まっ、学校の成績が悪くたって、元気があればなんでもできる。元気出せよ」
「猪木ですか。一流大を出た高学歴の人にそんな慰めされても、微妙に嬉しくないんですけど」
「可愛いんだからお前は幸せになれるよ絶対」
「俺、女の子じゃないんですから」
 ツッコミ入れたものの、電話がつながってからずっと、浮き立つ気分を持て余してベッドに突っ伏してごろごろころがってる俺。俺がほんとに可愛いんだとしたら、木下さんのせいじゃねーのか。じゃあ、木下さんがいなかったら俺は可愛くなくて、幸せになれねんじゃねーのか?
 じゃあまた店で、と電話を切った後、兄貴が俺の部屋をのぞいてきた。
「あ、うるさかった?」
「いいけど? まるで恋する乙女みたいだなと思って」
「はあっ? み、見てないだろ!」
「今の顔と通話中の声でまるわかりだって。あー甘い甘い。麦茶でも飲んで口直ししよう」
 成人になったばかりの、人生の輝かしい日を迎えたばかりの弟にしらっといやみかよう。キッチンへと足を向ける兄貴に俺は、あっかんべーと舌を出した。

20090116
PREV
NEXT
INDEX

↑ PAGE TOP