ふるふる図書館


第4話 プラス・マイナス・ゼロ plus minus zero 2



 いつまでも会心の笑みを浮かべてためつすがめつするもんだから、どうにもいたたまれない気分になって、木下さんを浴室に追いやった。
 ひとりになって、髪をくしゃくしゃかきまぜようとして、やっぱりできなかった。もったいないお化けが出そうだし。
 動きにつれてさらさら、髪が動くのがおもしろくて不思議だ。
 それにしても、こんなにだだっ広い部屋なのに、ソファにちんまりおさまってることはねーんだよな。俺はまたひとしきり調度を観察し、窓から夜景を堪能し、用意されてるパリッとした寝間着に着替えた。
 テレビはあるけど、つけたらお金がかかるかもしれないと思うとうかつに触ることすらできやしない。
 どうにも非現実。非日常。宿泊代、いくらくらいするんだろ。夏のボーナス払いかな、などと無理やりリアルな考えを呼び戻したら、自宅にまだ連絡してないことに思い至った。実家に住んでる以上、無断外泊はよろしくない。
 バッグから携帯を出した。着信を示すランプがちかちか光っている。メールが届いていた。兄貴からだ。
「件名、木下さんと仲よくやってるか? 本文、家にはこっちからちゃんと言っとくから余計な心配はせぬように。健闘を祈る。返信無用」
 また木下さん、兄貴と結託してたな。水ももらさず抜かりなく。
「意味わからん、健闘って」
 ぶつぶつつぶやいてたら、風呂上がりの木下さんがバスローブ姿でてくてくと歩み寄ってきた。温められたいい香りがほわっとただよってくる。俺のときと別で、髪の乾かしかたはずいぶんおざなりだ。
 俺の手に握られている携帯に視線をとめた。
「そういやさ、機種変しねーの? 料金安くなるぞ」
「うーん。でもこれ、気に入ってるんですよね」
 初めて手に入れた携帯。木下さんに選んでもらった機種だ。
「そっか」
「だから、また……一緒に選んでくれますか?」
 げ。うっかりナチュラルに誘い文句がほろりこぼれてしまった。「悪女になるなら月夜はおよしよ素直になりすぎる」と、中島みゆきも歌ってるし。って誰が悪女だこら。
「俺が?」
「あっ……だからほら、俺ぜんぜん詳しくないし。木下さん、こーゆーことよく知ってるからっ! あ、き、木下さんは、携帯変えるんですか?」
 木下さんはにまりと笑って俺の隣に腰を下ろした。ボディソープの香りがいっそう強く鼻をくすぐった。
「そーだなあ。じゃあ俺は桜田に選んでもらおっかな?」
「一緒に店に行って?」
「一緒に店に行って」
「し、しょうがない、もちつもたれつ、ギブアンドテイク、互助の精神で」
「今度は、お前の番号真っ先に登録するからな」
「そそそんな、もっと大事な番号あるでしょ? 俺じゃ、なくたって」
 世界各国から集まった俺の心臓が何万個も一堂に会してホノルルマラソンしてるみたいにどかどか足音高く行進してる。マーチったらちったかた、知らない国へとわっしょいわっしょい連行されそーだ。
「お前の携帯、俺のを一番に登録してくれただろ?」
「じゃ、俺も、また木下さんのを最初に入れます」
「学校で友達できたんだろ、そいつらの入れりゃいいんじゃねーの?」
「だけど。ここはフェアーにしないと、ね!」
 なにが「ね」だ、まったく言い訳がましいんだからもう。

20080730
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