ふるふる図書館


第4話 プラス・マイナス・ゼロ plus minus zero 3



 木下さんは俺のひとりツッコミに気づいてないようすで、俺の髪をさらっと撫でた。うわあ抜き打ち! 俺はのけぞりそのままでんぐり返りそうになった。場外へところげ落ちかけたところをあわや踏みとどまる。腹直筋大活躍だ。
「うわ。そりゃさすがにドン引きしすぎじゃね? ギャグかコントじゃねーんだから」
「だって! セクハラされるんじゃないかって体が勝手に!」
「うーん。それは困ったナリー」
 クロレラほども緊迫感のない口調。
「俺、しばらくお前にそんなことしてねーのに?」
「すでにインプリンティングされてんです。刷りこまれてんです。俺は哀れなしがないパブロフの犬です!」
「うーむ。あれはさあ、なかったことにしてくれねーかなあ?」
「はあ?」
 はなはだあんまりな提案に俺の声が裏返った。なんだとお? 今さら責任逃れかよ?
「しばらくお前にちょっかいかけてないからさ。この期間でプラマイゼロにして、チャラにできないかなーと思って」
 もう一度声を出したらさらに裏返って一周して、平静になりそうな気がする。ものすごーく低くて抑えめで、もしかするとドスまできいちゃうかもしんない。
 なので俺は黙っていた。
「そんでさ。桜田、女の子と付き合ってみたらどーかなあ」
 ざくっ。返す刀でとどめの一刺し。
 ハチのムサシは死んだのさ(平田隆夫とセルスターズ)。向こう見ずにも太陽に戦い挑んで敗れたムサシだ。焼かれて落ちてひとりぼっちで死んだのさ。
「木下さん。ほんっとうに、帳消しにしたい、んですね?」
 俺はすくっと立ち上がった。
 木下さんは、目をぱちくりさせて俺を見上げる。そういえば、俺、この人をこんなふうに見下ろしたことがなかった。
 木下さんの両腕をそっととらえる。間抜けにもだらしなくぽかんとひらいている無防備な口から視線をそらさないままかがみこんだ。ほんの軽くかすめただけでは温度も味も柔らかさもわからない。
「木下さんが俺にしたことを俺が同じぶんだけやり返さない限り、チャラにはならないんですからね?」
 両手を離して顔をそむけた。
 俺、馬鹿だ。こんなことやっても誰も幸せになんかなれないのに。たんなる腹いせの報復みたいじゃないか。
 馬鹿だ。

20080730
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