ふるふる図書館


第2話 トーキョー・ブギウギ tokyo boogie-woogie 1



「まっ、桜田にしては察しがいいな」
 木下さんがにんまりした。
 はてと首をかしげる俺の鼻先に「じゃんじゃじゃーん」といつの時代だよってツッコミたくなるような効果音を元気に口ずさみながら突き出してきたのは、
「もしかして。カードキー、ですかそれって」
「そのとーりっ。ホテルだぞう。スイートだぞう。スイートったって甘いわけじゃねーぞ。いんや、甘いぞう。らぶらぶあまあまだぞう」
 ワタシ日本語ワカリマセン。つか、木下さんの言葉がわかりません。
「なぜ泊まるですか」
 質問までもがカタコトになってしまった。
「飲んで帰るのめんどくせーし。運転できねーからお前のこと送ってやれないし」
「俺は余裕でひとりで帰れますけど」
「あーっ。そーゆーことゆーんだ。冷たいのー。せっかくの俺からのプレゼントなのにぃ」
「プレゼント……?」
「そ。お前も大人になるんだから、少しはこーゆー世界を知っといたほうがいいぞ?」
 う、うーん。そういや俺、ちゃんとしたホテルって入ったことないな。カードキーだってしっかり視認したのはじめてだ。
「窓からの夜景はきっらきら。豪華なベッドはふっかふか。セレブでラグジュアリーでエグゼクティブな世界を堪能してみないかね? ん?」
 嘉門達夫の歌「小市民」を耳にするたび、うなずきトリオも賞賛するであろう激しいうなずきで聞き入ってしまう一庶民の俺である。不本意なことはなはだしいが心はくらりとひかれてしまう。
 と。ここで重大なことに気づいた。
「あっ。駄目だ。俺、用意なにもできてないです」
「用意?」
「その……タオルとかブラシとか」
「なんじゃいそりゃ」
「修学旅行のとき、絶対忘れないようにって言われましたよ?」
「部屋に全部常備されてるぞ」
「ええっ。そーなんですかっ?」
 俺は至って真面目におどろいてんのに、木下さんはしんから楽しげににやにやしている。ちょっとムカ。
「やっぱ社会勉強は必要だなあ。恥かかないうちに何事も体験体験。若いうちに済ませとこーねっ」
 あうあう。反論の余地がねえ。
 こうして俺はあれよあれよと一泊コースに乗せられてしまったのだった。
「パンツには名前書かなくてもいーぞ」
「それくらいわかってますっ」

「うわああああ。広い! きれー! 豪華!」
 おいしい食事を出してくれたレストランを後にして、エレベーターに乗り、部屋にたどりつき、足を踏み入れた瞬間から俺は舞い上がりっぱなしだった。
「ふとんふっかふか! 夜景きっらきら! 窓でかーい。見て見て木下さん、東京タワー!」
「明日の夜は緑色にライトアップされるらしーぞ。グリーンエネルギー促進ウィークとやらで」
「へえそうなんだ。だけど俺、ふつうの東京タワーでもいいー。花のお江戸だ東京だー。リズムウキウキ心ズキズキワクワクー」
 ベッドにころころころがってる俺に木下さんが笑った。
「なにをちたぱたしてんだ。しかも『東京ブギウギ』ってお前いくつだ」
 見下ろされると急に恥ずかしくなって、俺はぴょこんと身を起こした。
「すいません。はしゃぎすぎました」
「謝ることないだろ。ここには俺しかいないんだし」
 木下さんが並んでベッドに腰かけた。頭を撫でてくる。
「それよりお前によろこんでもらえてよかった」
 うぎゃ。ど、どういう表情してればいいんだこんなときは。俺は綾波レイか。笑えばいいってもんじゃない。
「子供扱いしないでくださいって!」
 むっとしたふりをしてぷいっと顔をそむけて窓の外に林立する摩天楼を凝視するしかできない。
「けっこう髪伸びたなあ。あ、またイヤーカフしてんだ。せっかくつけてるのに。こうしないと隠れてんぞ」
 俺の様子にとんとかまわず、指で俺の髪を梳きあげる。
 だ、だから、どういう態度を取ればいいのかわからんってっ。「どげんかせんといかん」ってどこかの県知事は言ってるけれど。このままじゃいかんざき(注・神崎氏は公明党)。振りほどくべき? なすがままにされるべき? さあどっち? 関口宏と三宅裕司が俺の脳内につめよってくる。いやいや「どっちの料理ショー」じゃねえって。
 藤本さんにもらった小説のシーンが俺をあざけるように脳裏にちらつく。
 や、だから。そりゃおとぎ話だから。ファンタジーだから。リアルじゃねーから。あんなの起こりっこないんだって少なくとも俺の近辺では。
「あ。えっと。トイレ行ってきます」
「ああ、うん、行って来い」
 あっさり木下さんは手を離す。あう。俺だけひとり意識してて馬鹿みてーだ。酷使されすぎた心臓がストライキでも起こしたらどーしてくれる。心はズキズキだけどワクワクなんかしないったら。

20080709
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