ふるふる図書館


番外編3 アップルティーとまけずぎらい。



 その自販機は、コカコーラでもキリンでもアサヒでもサントリーでもポッカでもカルピスでもダイドードリンコでもヤクルトでもなく、伊藤園だった。
 品揃えに常にアップルティーが入っている。
 バイトたちへの差し入れをそこで買いこんだのが、そもそものきっかけだった。
「好きなの選んで飲みな」
「わー、ありがとうございます」
 俺がスタッフルームのテーブルに人数分の飲みものを置くやいなや、またたく間にはけた。
「お前らなあ。ちったあ新人君に譲れよ。今日が初日の子がいるだろ」
 みんなが思い思いの缶に手をのばし、みるみるなくなっていく光景を後ろのほうでぽやっと見ていた新人君は、視線を受けてあわてたように言った。
「いいんです、いいんです、俺のは」
「なくなっちゃったぞ。残ったのはアップルティーか。いいのかこれで」
「あ、これ好きなんです! ありがとうございます。ごちそうさまです」
 俺から受け取ると、新人君はふわふわと笑った。
 はにかんで、やたら嬉しそうにしている。
 ふうん。じゃあ、こいつにおごるときは、アップルティーにしてやろ。
 そう思って。俺は伊藤園の自販機が置かれている場所もあちこちチェックまでした。
 気をつけて観察すると、くだんの新人君がアップルティーを飲んでいる光景をよく目撃できた。
 なのに。
「桜田君、これ飲む?」
「わあ、嬉しいです。ありがとうございます」
 誰になにをもらっても、手放しでよろこんでいる。CCレモンだろーがマックスコーヒーだろーがプリンシェイクだろーが。いや。チョコレートでもチェルシーでもメントスでも。フリスク一粒ですら、にこにこ愛想を惜しげもなく振りまいて礼儀正しく礼を述べている。
 どんなものでも、俺にもらったときと同じよーな反応じゃねーか。するってーと? アップルティーが好きだと言ったのは、俺への気遣いか。もしかして、自分で買って飲んでいるのも?
 相手が誰であろーが、ものがなにであろーが、価値はすべて等しいってことか。へー。なるほど。
 もし誕生日にプレゼントをあげることになったら、「なんだこりゃ?」と目が点になるよーな、嬉しくないあまりに礼も言えないよーなやつにしてやろうじゃん。
 見てろよ。やると決めたら絶対勝つ!
 ここまでが作戦第一段階。

 ちょこなんと座ったまま、酔っぱらいが隣で前後左右に揺れていた。器用なやつだ。
 社員で、バイトたちを飲みに連れて行った店。席はお座敷掘りごたつ。
「すみません俺、飲めませんから。未成年だし」
 礼儀正しく辞退するのに、ほかのバイトがおもしろがってウーロンハイをすすめたもんだからとうとうひとくち飲んでしまい、たちまち真っ赤になった。お酒は二十歳になってから。いや、成人しても飲んじゃいけない体質だなこいつは。とんでもなく下戸だ。
「こら昭。桜田に飲ますな。桜田、こっちに来い」
 ガードしてやるつもりで呼び寄せたら、ずっと横でふらふらしている。ついでに絡みも入ってきている。
「俺、成績悪いんですよお。馬鹿なんですう。ウチでも俺だけ落ちこぼれなんですよお」
「そーか? 本はよく読むだろ。言葉も変によく知ってるし」
「それだけじゃ駄目、ですよう……」
 くたあっと俺に体をもたせかけ、酔いのせいでうるんだ目で俺を見た。
「お前ってさ、欲がない子なんじゃね?」
「よく?」
 小首をかしげる。
「そ。無欲なの」
「ふーん?」
 つぶやいて、大皿に残っていたプチトマトを箸でつまんで口に入れた。さっきから、つけあわせの菜っ葉だのツマだのパセリだの、みんなが残したものばかり食っている。
「人を押しのけてもいいってゆー心意気はねーだろ」
 プチトマトでぽっこりしたほっぺのまま、軽く箸の先をくわえて俺に顔を向ける。なんだそのキュートなしぐさは。
「そっかあ。強くなれって、ことですね」
「そのまんまでいいよお前は」
「そーですかあ? 駄目人間でいーんですか?」
「こないだ、難癖つけてくる客がいただろ」
「木下さんがフォローに入ってくれたときのことですか。俺、うまく要望にこたえられなくて。悪いことしちゃったなあ」
「あそこまでこけにされて、このやろーとかムカツクとかは思わないんだろ。相手はもはや客じゃねー、単なるクレーマーだ、てさ」
「あー、そーなんですか。でも、俺の対応が悪かったの、事実ですもん。お客さんに怒られて当然です。もっとがんばれ、っていう神さまからの試練ですよねえ」
「やっぱ欲がない」
「ん?」
「自分を価値があるものだと思ってなさげだもんなあ。自己重要度の設定が、どーも低すぎんだよなあ。キャラメル一個もらっただけで大よろこびするのも。ちょっとかまわれたり声かけられたりしただけで嬉しがるのも。なにに対しても素直なのも。ある意味打たれ強いのも。お前には欲がねーからだ。自分に価値を求めねーからだよ。よけいなプライドもねーし。ネガティブなよーでポジティブなんだよな。おもしろいよなー」
 飲むと語りが入るな俺は。案の定、相手はぽやっと俺を見ていた。
「んー? なんだか、よくわからないけど、すいません……」
「ほめてんのになんで謝るんだ」
「ほめてるんですか? どうしよー嬉しい、俺って、人にほめられないから、すっごく嬉しいです」
 とびっきりの笑顔になって俺にもたれかかってくる。身をすりすりとすり寄せてきて、子犬みたいだ。
「俺、木下さんについていきますっ」
「人生の決断がはえーな。まだプロポーズもしてねーぞ」
 俺に軽口叩かれて、きょとんとしてる。
「プロポーズって、俺にですか? 男どーしは、結婚、できないんですよ?」
 真面目くさってたどたどしく言う。
「ほほー。障害はそこだけか?」
「ふえ。どーゆーこと、ですか」
「精神面ではどうなのか、ってこと」
「ん。それはちっとも問題ないですよ?」
 ん?
 たった今さらりと爆弾発言しなかったか? それとも単なる一般論か?
「それは俺の都合のいいように解釈していーのか?」
 念押ししても、ふにゃふにゃ笑って首をかしげてる。どっちだよ?
「よしわかった、前向きに捉えることにするからな。後悔してもしらんぞ。って言ってんのに。全然危機感ねーだろお前」
 トマトでふくらんだ赤いほっぺをつついた。すると「あ、そうか」と気づいたらしく、おとなしくもぐもぐと咀嚼を始めた。
 こいつのこともっとかまいたい。いじりたい。からかいたい。ちょっかいかけたい。
「腹いっぱいになったか? なんか頼むか」
「んー。大丈夫です。ありがとうございます」
「さっきから、残りモンばっかじゃねーか」
「ああ。木下さん、よく見てるんですねえ」
 靄がかかった目で俺をじいーっと見て、にこりとする。
「残り物でも、食べ物ですよ。残ってるトマトだって赤くてきれいでしょ? おいしそうっていうのは大事ですよ。『きれい』もね、『可愛い』もね、『美しい』もね、みんな、おいしそうなの。おいしそうじゃなかったら、『きれい』でも『可愛い』でも『美しい』でもないんです。そー思うんだけど、俺、変なのかなあ。笑われちゃったことあって……」
 じゃあ、お前のことをおいしそうだって告げたら、どんな反応するんだろな。ふたりきりの時間が取れたら、言ってみてやろっかな。
 夢うつつでとろんと重みを預けてくる顔を見ながら、そんなことを考えた。
 これが作戦第二段階。

 その数か月後、桜田公葵の十八歳の誕生日をふたりで過ごすことになる。
 当人の予想と期待の斜め上をいく、忘れられない日にしてやろうと企む俺は、性格悪いんだろーか。
 あいつが俺の車に定期を落としたとき、家を訪問する口実作りのために知らんぷりした。そんな策略にも、あいつは気づきっこないだろな、一生。

20080120
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