ふるふる図書館


第26話 ハッピーエンドはまだこない。3



「なななななんでそれを!」
 俺、そんなことをどこで吐いたんだ。酒の席? それしか考えられねえ。馬鹿馬鹿、俺のおたんこなすっ。穴がないなら掘ってでも入りたい。もう永遠に目を開けられない気がする。ドツボにはまってとっぴんしゃん。どんどこしょなんて気軽に抜け出せないようっ。
「あれえ。秘密だった?」
「あたりまえですっ」
「ふうんよかった。誰にも言ってなくて」
「ほ、ほ、ほんとでしょーね?」
「うん。お前以外の誰にも言ってねーよ。『うまそう』だなんて」
「誰だってよろこびませんよそんなっ」
「ああ。そっかー」
 木下さんは軽佻浮薄すぎる口調に納得をこめた。
「俺にそー言われてもよろこばないのかあ。なーんだよかったあ」
 意味不明。
「何がよかったなんですか」
「いやさ。ほかの人に言われたら嬉しい?」
「誰に言われても嬉しくないです」
「ほら、だからよかった」
 頼むから俺のわかるよーに説明してくれ。
「うまそうって言っても、可愛いって言っても駄目なのかあ。いい子って言っても怒られるし。お前って案外難しいんだなあ」
「俺は一般的ですよ! ……たぶん」
「でもうまそうだし可愛いしいい子だと思っちゃうんだもん」
 子供みたいな口調だ。まだ強情に目をつぶってるから見えないけれど、これが二十五歳かよっていうその顔つきまでばっちり想像ついた。うー、不本意きわまる。
「ほかにないんですか俺に対する気持ちは……」
 だけどほめてもらえるとこ、これといって思いつかないなあ……。頭悪いしかっこよくもねーし地味だしださいしオッチョコチョイ(死語)だしなんの取柄もねーし。俺のよさってちゃんとあんのかな。
「あ。特にないか……」
「お前への気持ち? あるよお。たくさん」
「例えば?」
「知りたいか」
「知りたいです」
「覚悟しろ」
「覚悟します」
「わかったそのまま目を閉じてろ歯を食いしばれっ」
 うわなに、闘魂注入ビンタ?! 反射的に体をすくめた。すると。
 ふわり。花びらがかすめるように、俺の唇に柔らかさが触れた。それはほんの一瞬だったけれど、俺が待っていた、欲しがっていた答えを全部まとめて連れてきて、壊れものでも扱うみたいにそろりと慎重に心をこめて差し出すような、そんな交わりだった。
 ちぇ。効率的ってゆーか手抜きってゆーか。
 俺の口の端に、木下さんのささやきがかかった。
「足りないか? もっといる?」
「……もう、いいです。充分です」
「じゃ、わかったの?」
 こくんこくんと首を折った。
「ほんとに? なにが、わかった?」
 いたずらっぽく木下さんの声が潜まる。あ、もう駄目、くらくらする。前のめりになったら、俺のおでこを木下さんの肩が受け止めてくれた。
「覚悟は、できてたのに……。こんなの反則です」
 ようよううめいた。
「俺のことどう思いますかなんて聞くからこーゆー目に遭うんだ、わかったか」
「泣いてもいいですか?」
「嬉し泣き?」
「悔し泣き」
「じゃあまたリベンジ作戦でも立てる? 何度でも仕掛けてくればいいじゃん?」
 木下さんが、ターゲットのくせしてのんびり笑う。そっか、こうして俺たち続いていくんだ。この先も。終わりはまだ来ない。むしろこれははじまりなんだ。
 ものっすごい照れくさかったけど、顔を上げてまぶたを開けて木下さんの淡い色の瞳を見つめた。口もとが自然にほころびて抑えられない。ふたりきりだから、バイトのときみたいに隠す必要もない。
 エアプランツがでっかく育ったら、写メを送るんじゃ駄目だ。本人に直接見せてびっくりさせてやらないと。そーだよ、俺を翻弄するこの人を降参させるための作戦なんだからっ!
 木下さんが俺の瞳を見返す。その目つきに、どんどんきまりが悪くなってきた。我ながら感情の振れ幅が大きすぎて疲れる。
「あの。木下さん」
「ん?」
「いつまでこんな体勢でいればいいんですか。これじゃカップルみたいですよ?」
「だったらお前から離れたら?」
 ううう。タイミングがつかめない。にっちもさっちもどうにもブルドッグ。
「そっかそっか、皆まで語らずともわかった、こうしていたいのか。あーやっぱ可愛いなーコーキは」
「今、少し殺意が芽生えました」
「あっはは。俺はお前に何度も殺されてるよ、今だって死にそう。あー、死ぬ死ぬ」
「……俺、なにもしてないでしょっ。俺だって。木下さんにしょっちゅう殺されかけてんのに! すぐそうやって人のせいにするっ」
 木下さんの腕が俺の体を抱いた。だ、か、ら、殺す気かっての!
「放してください、暑い」
「なるほどねえ暑いんだあ。冷房効いてるのにねえ」
 くそう体温が沸騰する……。
「だ、だって今にも死にそうなんでしょ、こんなことしてる場合じゃないでしょうが」
「こんなふうに死ねたら重畳の至りだねー」
 俺ばかりじゃなかったんだ臨死体験してるのは。俺は苦しんでるのに木下さんはとてつもなく楽しげだ。このど変態。俺はそこまで落ちてないぞ。と思うそばから。
 ぽわぽわとして心地よくて。
 ああ、もう、俺、落ちた。

 二晩連続の外泊はせず、木下さんに送ってもらって帰宅した。
 兄貴はなにも言わなかったし俺も特に言わなかった。だって別になにかが変わったわけじゃない。
 そう、あの日から変化したところはない。
 俺は相変わらずバイトに精出して。木下さんにしょっちゅうからかわれていじくられて。涼平が店に来てくれて。たまに七瀬さんの喫茶店に遊びに行って。
 他愛もなく過ぎていく、ささやかな日常生活。
 学校では友達いない、成績もぱっとしない、女の子にももてない、クラスにいても冴えない。家では親に世話焼かれない、兄貴との距離も縮まらない。

 だけど俺は、毎日、幸せ。

20080115
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