ふるふる図書館


番外編4 アンビバレンスはなやましい。



 七歳下のアルバイトはまだまだ子供だから手加減してやろうと、殊勝にも自粛している俺をよそに、父親ときたら我が子と同い年の女と再婚。よりにもよって、元同級生の藤本が俺の義母になりやがった。
 親父と藤本のラブラブっぷりにあてられまくりの毎日に辟易して家は出ていた。二十代独身男子の前でくらい少しは慎めってんだ。
「あら、木下君、来てたの」
 俺が台所で朝食の用意をしていたら、看護師をしている藤本が夜勤明けで帰宅してきた。
「わあ、朝ごはん作ってんの? 気がきくじゃん」
「お前のじゃねーよ」
「あ、もしかしてさっきの子かな? なんだ、木下君のお客さんだったんだ。へえー」
 意味ありげだ。
「あ。安心して、あたしショタじゃないからさ」
「へいへい。今さらわざわざおっしゃらずとも、よーく存じ上げておりますとも」
「ゴキゲンじゃないの。さては昨夜なにかあったな?」
 事実を教えてやる義理は毛頭ない。
「相も変わらず妄想たくましいこと。あーはしたない」
「可愛い子だったもんね、ちょっとぽやんとした感じで」
「馬鹿だからな、あいつ。うん、俺、馬鹿は嫌い。卑屈なやつも勘弁。『俺はどうせこうだから』ってすぐに言うの。どうにかならんのかね」
 藤本はしかつめらしく俺の話を聞いていたが、我慢できなくなったのか、やおらげらげら笑い出した。
「あーはいはい、わかったわかった。木下君、なんだかんだ言っても顔ゆるみすぎだから。やに下がりすぎだから。全然ごまかせてないから。ふうん、『あの』木下俊介君がねえ。そっかそっかあー。
 そうだ、あんたたちの前でダーリンとのアツアツっぷりを見せつけてあげよっか。気分が盛り上がるかもしれないよ」
「丁重にご遠慮申し上げます。お気持ちだけでほんっとに充分すぎてげっぷが出る。想像するだに胃もたれする。太田胃散かガスター10でも飲まないと正視できねー光景だってわかってんのか。子供の情操教育に悪影響なことすんな」
「ああ、大事にしたいわけね、あの子を。なるほどなるほど」
「お前らより俺のほうがはるかに良識派だよなあ」
 冗談のつもりはまるでなかったのに、ツボったのか藤本はまたもころころ笑いこけ、ぽんぽんと俺の肩を叩いて出て行った。バカップル夫婦と一緒にされるのは心外だ。こいつらと比べたら、俺なんか涙ぐましいほどストイックじゃねーかよ。禁欲してる人間の前できわどいいちゃつきぶりを披露して、俺の葛藤を増幅させやがって。
 昨日酔いつぶれてしまった桜田公葵を、近いからと実家のほうに連れて来たが、こんな恥知らずの魔窟はやめて俺のアパートにすればよかったかもしれない。
 いや、それもまずいよな。ただでさえ、ちょっと行きすぎなスキンシップに怒ったり悲鳴を上げたりしてんだから。ふたりきりでひとつ屋根の下、一夜を明かしたと後でわかったら、口利いてくんなくなるかも。それに、実家はベッドも空いていたからゆったり寝かすことができたしな。うん、こっちで正解か。藤本の存在は黙殺しとこう。
 それにしても風呂から出るのが遅いな。どこをそんなに磨いてんだ。
「桜田? まだ出ないのか? 目玉焼きがさめるぞ」
 声をかけても風呂場は静まり返っている。まさかおぼれたりしてねーよな、と心配になって、浴室隣の洗面所に入った。
「お世話になりました。どうもありがとうございました。用があるので帰ります。桜田」
 書置きがぽつんと残されている。なんだろ、あいつらしくないな。顔も見せずに帰るなんて。なにかあったのかな。藤本にいやなこと言われたとか?
 釈然としない思いで、何気なくメモを裏返した。ビックカメラのレシートだった。俺とふたりではじめて出かけた場所と日にちの。
 あいつは、財布にレシートを溜めこんだりしない、にもかかわらず、何か月も前のがこんなところにある。ということは。
 あいつってつくづく馬鹿だな、また墓穴掘って。俺に都合よく解釈させるよーなことばっかしてるじゃねーか。
 わざわざずっと取っておいたんだ、肌身離さず持ち歩いてたんだってさ。
 もしこの場に本人がいたら、泣いて叫んでも許してやらない。お仕置きだお仕置き。

「うわっ、木下さん! どーしたんですかっ」
 いきなり俺の腕に体を巻きつけられて、びっくりした声が応えた。
「こーしたくなったんだよ、悪いか」
「悪いですよ! なんですか突然!」
「ほへ? 予告すればいいのか?」
 問い返したら、「うっ」とつまって顔をうっすら上気させている。
「よしわかった。事前に聞く」
 俺は赤くなっている耳に口を寄せてこそこそと耳打ちした。すると、こそばゆかったのか恥ずかしいのか、力いっぱい身をよじる。
「そっ、そんなの! 許可、取んないでくださいっ」
「前もって言えだの言うなだの、どっちだよ?」
「もー! 俺のこと楽しそうにいじめて! ムカツク! 今、宿題してるんですからじゃましないでください。木下さんは教える係でしょ。なに考えてたんですか」
「ん。まーいろいろ。お前がずっと黙ってノートとにらめっこしてるもんだから、ひまでさあ。ずっと横顔を見てたらさ、ついお仕置きしたくなってさー」
「わ、悪かったですね、数式ひとつまともに解けないで」
「うん。とっとと終わらせろ。ずっと同じ数式を熱く見つめてんじゃねーかよ」
「うう」
「さもないと数式に嫉妬するぞ」
 俺の言葉を聞くやいなや手から落っこちるシャーペン。そんな様子に俺の口もとはしまりなくほころぶ。こいつの前だとどーしてもえへらえへら度マックスになっちまう。
「ほら、さっさと解け、コーキ」
「解けませんっ。俊介さんのいけずっ。離してくださいよう」
「ほらあ、早く早くー」
 早く大人になって賢くなりな。自分の美点にも気持ちにも気づけるほどにさ。だから、今は全部は教えてやんない。お前が自分で考えて選べるよーになるのを待ってやるからな。何年でも。
 ……なーんちゃって。
 ぶっちゃけ、このままのこいつも捨てがたいんだよなあ。あほで鈍感で要領悪くて。
 となるとやっぱり、いずれにしても、教えてあげないことに変わりはないのか。その数式の答えも。俺の気持ちも。
 どっちを望めばいいんだろ。
 まあ、どっちに転んでも、毎日楽しくて嬉しいけどな。

20080120
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