ふるふる図書館


番外編2 アルバイターにあいたい。



 目の前の女の子を可愛いとは認めた。しかし、それとこれとは話が別だ。
 申し出を進んで受ける理由もないが、断る理由も同様に見つからない。
 考えさせてくれないかな、というのが、俺が出した答えだった。
 リップクリームとファンデーション。ほんのりと化粧をほどこした顔に、期待と不安がいりまじった表情がはっきり浮かぶ。いたたまれなくて、俺は視線を逸らし踵を返した。
「俺、もう行くから」
 ほどなくして背後から、彼女の友達らしい女の子たちが彼女を囲んでしゃべり立てる声が響いた。俺たちの会話を陰で逐一聞いていたらしい。
「大丈夫だよ! うまくいくって。元気出しなよ」
「エミ、可愛いんだから。自信持って」
 そういえば、エミという名前だった。面識がまるでなかったとはいえ、放課後に俺を校舎の裏に呼び出して、勇気をふりしぼって好意を打ち明けた人物の名前くらいは、おぼえておかなくては失礼だろう。
「入学したときから、先輩のこと、ずっと見てました。あの、もしよかったら、付き合ってください」
 受験勉強で忙しいのも知ってます、とか、知らない人間にいきなりこんなこと言われて困るのもわかってます、とか。俺が口にしようとした事項はすべて先まわりされてしまい、軽く窮地に立たされた挙句が「考えさせてくれ」だ。
 考えて良策が出るとも思えない。ただ解決を先延ばししただけだ。
 困惑した気分を抱え、予備校に向かった。

 俺が通う予備校は、近くに大型書店がある。開始時間になるまでそこで過ごすことも多かった。
 あらかじめメモしておいたリストを手に、書棚を探した。目当ての本は見つからない。在庫切れだろうか。
「すみません」
 ちょうど通りかかった、店のユニフォーム姿をつかまえた。
「はいっ」
 振り向いたのは男子アルバイト店員だった。今までにもちらほら見かけたことがある。自分と同年代のようなので、記憶にあった。まだ、働き始めて日が浅いはずだ。
 アクセサリーなどで飾り立てず、髪型に凝っている気配もないが、さりとて身なりにまったく気を配らないような痛さもない。
 ひとことで言えば、ふつう、だ。
 そのふつうさが、巷にあふれる高校生の平均像と一線を画している。ふつうさが印象深いというのも妙な話だ。ではそれはふつうといわないのだろうか。特別なのだろうか。ふつうと凡庸は似て非なるものなのかもしれない。
「この本を探しているんですけど」
 俺の手元を神妙な態度と生真面目なおももちでのぞきこんだ彼の名札には、「桜田」と印字されていた。
「はい、少々お待ちください」
 桜田某君は、活発にそう告げるやいなやすっとんでいった。
「大変お待たせしました。こちらでよろしいですか?」
 すぐさま帰ってきて、本を差し出してくる。目的のものを見つけられて安心したのか、無邪気に目をきらきらさせて。
 子供のときに飼っていた犬を思い出した。柴犬のコウタ。フライングディスクが大好きで、公園でよく遊んだ。空中で上手にキャッチして、嬉しげに誇らしげに、俺のところへくわえて走ってきたっけ。もう一度、としっぽを振り振り、ねだるようにつぶらな瞳で俺を見上げるから、ディスクを受け取ってまた投げて。楽しかったな。
「あ。初版ですよねこれ。改訂版はないんですか」
「あ。す、すみませんっ。今持ってきます!」
 店員はふたたびダッシュしていった。まるでコウタそっくりだ。おかしくておかしくて、俺は笑いをこらえるのにずいぶん苦労した。誰かにこんな気持ちを抱いたのは、なんて久しぶりだろうと思った。
 たったった、と足音を立てて駆け戻ってきたコウタ、もとい桜田君は、俺に本を手渡しながら、ほんとうにすみませんと何度も一所懸命に頭を下げた。緊張のためか不慣れなせいなのか、敬語のたどたどしさが初々しい。
「いえいえ、ありがとうございました」
 恐縮してそうこたえると、彼はまたお辞儀をした。ぱっと明るく破顔して。
 実のところ、この本は買うかどうか迷っていた。まずは内容を吟味したかったのだ。
 しかし、俺はまっすぐレジに歩みを進めていた。だってそうだろう、要らないと言って返すわけにはいかないじゃないか。

「気持ちはありがたいんだけど」
 同じ場所に今度は俺が呼び出して、エミという子に丁重に告げた。
 なぜだか昨日、本の代金を支払いながら、辞退する決意が唐突に固まったのだ。相手を傷つけずにすむための断り文句も同時に頭にひらめいた。
「ごめん、俺、好きな人がいるんだ」
 けっこうよくできた常套句ではないだろうか。少なくとも、彼女のプライドは守れる。
「え、そうなんですか、でも」
「その人のことは、遠くで見ているだけで満足しようと思ってた。でも、断ち切れないんだ。どうしても。もし仲よくなれたとしても、たぶん、俺のこと友達としてしか見てくれない。それでも諦められない」
 エミという下級生は、面食らったようだった。
「ありえない! 大野先輩、すっごくもてるのに。それって、ウチの学校の人ですか?」
 俺はやるせなく首を振った。苦しい。うそをつくのが。
 思わずそっと手を胸に当てた。どうしてしゃべるごとに、こんなにここが痛むんだ? うそだから? それとも……。
 心配そうな視線にぶつかる。よほど俺がつらそうに見えるのか。
「そっかあ。ふられたのは残念ですけど、まあ、覚悟はしてたし。だって先輩、いつもクールじゃないですか。人とあんましかかわんないってゆーか。恋愛にも興味ないって感じで。だからそんな一面があるなんて意外です」
「がっかりした?」
「全然。やっぱ超かっこいいです。あ、でもあたしのことは気にしないで、がんばってくださいねっ」
 彼女は予想外にいい子だった。こういう子をだますのはよくないと、俺は自責の念にかられた。
 否。
 もしも俺が話したことが真実だったら。晴れて良心の呵責から解放されるじゃないか。
 そう、真偽をたしかめなくてはいけない。
 だから今日も明日も明後日も、あの店に行こうと俺は心に決めた。




***
 三周年記念アンケート、キャラクター部門で20%を得票したのは彼、「涼平クン」です(呼称は原文ママ)
 きれいな男の子はお好きですか?
 きれいな男の子の割には不憫で損な役回りですので、気に入ってくださるかたがいらっしゃれば彼も報われることでしょう。
 彼の一人称で書いてみました。
 何もせずとも女の子にもてるというのに、うっかり好き好んで茨の道を選択してしまったいきさつ。
 この話は、投票してくださったかたにささげます。
 ありがとうございました。

20070623
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