ふるふる図書館


番外編1 シーサイドをあるきたい。



 車から降りると、潮の香りが鼻腔をくすぐった。
 東京って海のある街なんだなあ、とこういうときに再認識する。
 寄せては返す波の響きは、こころよいくせに体の中をざわめかせる。
 シビックを運転してきた木下さんと並んで、浜辺を歩いた。
 ローファーの底が、さくさくと砂に埋もれた。
 高層ビルやレインボーブリッジのファンタスティックな輝きに照らされて、ほんのり明るい夜空と対照的に、黒々とした水をたたえた海がかたわらに横たわっている。
 俺と木下さんのほかには誰もいない。静かだ。
 波の音は、沈黙を埋めるどころか、さらに静寂をかきたてるばかりだった。
 屋形船が通った。にぎやかに笑う声が潮風に乗って運ばれてくる。海はその場所だけオレンジ色に彩られて、長い光の尾が軌跡を描いて、きらきらゆれて、きれいだった。
 胸がしんとして、ひたひたと何かが浸透してきて、きゅうっと締めつけられるように痛んだ。
 俺は木下さんの横を離れ、波打ち際へと足を向けた。革靴の爪先が水に触れるほど近くまで。
 なんで? いつも無駄口ばかりへらへらぺらぺら、のべつ幕なしに叩いてる木下さんが、なんで今このときに限って黙ってるんだ? 新手のいやがらせか?
 なにかしゃべってくれよ。なんでもいいから。馬鹿馬鹿しくてつまんなくてくだらないことを。いつもどおりにさ。
 船からもれる楽しそうなざわめきがゆらゆら遠ざかる。
 足元で、海が優しく絶え間なくつぶやき続ける。
 駄目だ。苦しい。
 あらぬことを口走ってしまいそうになるじゃんか。よりによって、木下さんに!
 ここでうっかり弱音を吐いたら一生いじり倒されそうだ。俺の野性の勘が警告している。一生付き合うかどうか知らんけど。
 暗いのがせめてもの救いだ。もしあの目を間近にしたら、雀の涙の理性と自制心は絶対まるっとするっとすっとんじゃう。
「たーまやー」
 突然。背後から、底抜けに能天気な木下さんの叫び。
「ほらー、花火だ。見えるか?」
 指差すほうに視線をやれば、小さな小さな花火が上がっていた。かすかに音もする。かなり離れたところで大会でもやってんだろう。やけに目ざとくて耳ざといな。
 華やかな、でもぽつんとさびしげな打ち上げ花火を、しみじみ眺めた。
「なんだよお、元気ねーなあ。ワカモノはこう、ハキハキと! ハツラツと!」
「だ、だってこんな夜のお台場で誰が騒ぐっていうんですかっ。木下さんじゃあるまいし」
 俺はあわてて取りつくろった。
「ふーん? お台場に詳しそうな言いっぷりだな。来たことあるのか」
「ありますよ、田舎者でもお台場くらい」
「誰と?」
 あ。しまった。
「別に、誰だっていいでしょ」
 なんだよその小学生みたいな言い逃れは! 木下さんに絶好のネタを提供しただけじゃねーかよ! ちっとも言い逃れられてねーよ!
 果たして木下さん、やぶさかでない食いつきよう。ダボハゼかアンタは。
「へえ? なんだなんだ気になるナリ。ひょっとして彼女か? ん? ん?」
「そんな、そんなんじゃないですよう……」
 泣きたい。不意に呆れるほど鮮やかによみがえってきた、胸を焦がすような記憶にも。それをつっついて俺をにやにや嬉しそうにいじめる木下さんにも。
 うう、本格的に涙ぐみそうだ。
「照れちゃってまー、可愛いなあ。そんなにらぶらぶだったのかあ。すみにおけませんなあ。ひゅうひゅう!」
「だ、か、ら! そういう関係じゃないですってば。そうなる前に終わりましたからっ!」
 ここまで言わせんなよ木下さんの馬鹿! 正直に白状するなよ俺の大馬鹿!
「ほうほう。ふむふむ。で? なんて呼ばれてたの? 桜田君? 公葵君? コーキ? コウちゃん?」
「あああ、もおー、勘弁してくださいよ!」
 しつこい。くどい。うっとうしい。いい年した大人のくせに! 感受性豊かでイタイケな純情少年の傷口に遠慮なく粗塩どっさりすりこみやがって!
 おセンチ(死語)な気分ももののみごとに雲散霧消。俺は先に立ってずんずん進んだ。
 いつの間にか、いちゃついてるカップルが多い場所にまで出てしまった。なのに木下さんは歯牙にもかけず、ひそめるどころか元気いっぱい、生き生きとはずむ大声。
「ははーん。ふられたのか。あっはっはー、かわいそーになー。どれどれ、ひとつおにーさんが慰めてやろう。よしよし」
「ちょっ、木下さん。まわり見てくださいよ」
 俺はマジに焦った。恋人たちの甘いムードも、のほほんとしたあほ丸出しの声でぶちこわしだ。怒らせて刺されでもしたらしゃれにならん。明日の新聞の一面トップを飾りたくないぞ俺は。いや、社会面は一面じゃないのか? いやいや、この時間だからもう朝刊には間に合わないのか? 号外か? いやいやいや、んなこたこの際どーだっていいっつうの。
「ん? 仲間に入りたいのか? まじりたいのか?」
「どーしてそーゆー発想になるかなあこの人は」
「あーそうだよなあ。いまどき希少な純情オクテ少年だもんな。いやー、教育上ケシカラン。はなはだケシラカンぞ君たち。まことにもって、青少年には目の毒ですなあ!」
 日本は乱れておる、嘆かわしい、とことさら高らかにのたまっては、うほんうほほんとわざとらしい咳払い。
 ああお願いだ、誰かこの人を止めてくれ。
 いや、俺がやらねば誰がやる。って、北島サブちゃんの演歌(暴れん坊将軍のエンディングテーマ)のフレーズか。
 俺は衝動的に木下さんをひっぱって、なかばひきずるようにしていちゃいちゃゾーンの外へと連行した。
「わ、わわっ。手つないでる。やだーコーキ君ったら夜陰に乗じて大胆なんだからあ!」
 ふと気づけば俺は木下さんの手をしっかりと握っていた。
 木下さんの饒舌ぶりはゆるぎない。なるほど減らないから減らず口っていうのか。
 なんて冷静に分析するゆとりもあらばこそ、俺は完膚なきまでに赤面し、身も世もない悲鳴をほとばしらせつつその場にしゃがみこんでしまったのだった。
 悲しいかな、ウツクシイ夏の一夜、幻想的なお台場の思い出は、こうもあっさり愉快な一幕に上書きされてしまうのか。
 ロマンチックにほど遠い、これが俺の日常だよ。




***
 3周年記念アンケートにて、作品部門で50%の票を獲得しましたのは、「エアプランツにお願い!」でした。
 キャラクター部門で40%を得票したのは「コーキ」、20%は「木下さん」でした(呼称は原文ママ)
 ちなみにこの二人、セットで書かれていた方がいらしたので、記念作品には同時に出演させてみました。
 ロマンチックに夜のお台場デート(?)です。
「エアプランツにお願い!」は、2006年7月の話でした。いまだにご愛顧いただけて、うれしく思っています。ほんとうにありがとうございます。
 再開はします。打ち切りはしませんので、お待たせしてしまうのは恐縮の極みですが気長にかまえていただけると救われます。
 この話は、投票してくださったかたにささげます。

20070621
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