第11話 プロッターはだいしっぱい。3
その晩。
バイト先の閉店後、俺は急いで着替えをすませて外に出た。木下さんにつかまる前に。
駐車場には木下さんのシビックだけが一台ぽつんと停まっている。そのかたわらに涼平が待っていた。示し合わせたとおりだ。
「あの人は?」
「たぶんもう少ししたら来ると思うよ」
俺の答えに涼平はうなずいて、低くおごそかに宣言した。
「なにがあってもコウちゃんはおどろかないで、俺に合わせて」
並々ならぬ迫力に、俺は思わず息を飲みこんだ。涼平が案じた一計がどんなのか、まったく聞かされてない。そんなにアメージングでサプライズなのか。
誰かが近づいてくる気配がした。木下さんだ、と察知すると同時に涼平の両腕が俺の体に巻きついた。
「え。ちょっ……」
「し。黙って」
俺を抱きすくめたままささやく涼平に、そっかこれは作戦なのかと納得して口をつぐんだ。が、じきに閉じてられなくなった。
「や、やりすぎじゃねーの?」
涼平の演技は迫真すぎる。俺は焦った。アカデミー賞狙い?
「やるなら徹底的にだよ。白黒つけようじゃないの」
ゼブラーマンかよ、と心の中でツッコミを入れる余裕すらなくなった。背筋がぞくぞくと粟立つのに全身が火照って抑えられない。自分を翻弄する未知の感覚に恐怖さえおぼえて、俺は涼平に必死でしがみついた。
顔をそむけると首筋をたどられた。
「わかってないかも知れないけど、コウちゃんは無防備すぎるよ」
「無防備って……」
想定外の指摘に眉をひそめ、ゆっくりと涼平にまなざしを戻した。
「ほらそのうるんだ目とかさ」
どう返事していいのか悩んだ末に俺はまた視線を逸らし、そこで木下さんの姿をはっきりと認識した。
数メートル先のところに立っている。あっけにとられた、ぽかんとした表情で。
泣いてない? つか、怒ってもない?
なんで! 俺は裏切られた気持ちになった。
いや、裏切られた気持ちになった俺こそなんでなんだか理解不能なんだけど。
木下さんが至って平静に口をひらいた。
「桜田君にリョーヘー君、そんなところでそういうことしてはいけませんよ?」
今に限って、どうしてそんな良識的なことゆーわけっ? おかしくね?
「木下さんっ」
俺は策のことをうっかりすっかり忘れて叫んだ。
「ついこないだ言ってましたよね、浮気したら承知しないとかなんとか。なのになんでそんな落ち着いてんですか? やっぱわかんねえ。俺アンタのことが全っ然わかんねーよっ」
力いっぱい怒鳴ったら不覚にも涙ぐんでしまった。ええいこれは生理現象だっ。
「コウちゃん……」
涼平があやすみたいに俺の背中をぽんぽんと叩き、小声でつぶやく。
「ごめん、悪かった。コウちゃんが泣くなんて」
そーだよ俺が泣いてどーすんだ。いや泣いてねーよ泣いてねーけどっ!
木下さんはぽりぽり頭をかいて、俺たちに近づいてきた。びくりとしてとっさに身構えたが、俺ではなく涼平を向いている。俺のことはてんで無視?
木下さんの指が涼平のあごをつまんで固定した。暴力沙汰には縁がなさそうだけど、まさか殴るつもりじゃねーだろな。ちょっと面貸せなんて言う人だったりするのか、ほんとは?
瞳をみはって木下さんを見返す涼平に、あろうことか木下さんは尋常じゃない位置まで接近した。俺の目と鼻の先で、ふたりの横顔の輪郭がひとつにくっつく。
「うわあああ!」
悲鳴を上げたのはなぜか俺。
「なんでなんでなんでなんでっ」
ひとりとんでもなく取り乱し、同じ言葉を飽きもせずにリフレイン。ぜいぜいと肩で息をする俺の唇を、木下さんは指先でちょんと触ってしれっと言ってのけやがった。
「んー。間接ナントカってやつかな?」
「なっなに言ってんですか! 馬鹿じゃねーのっ」
って。俺はツンデレキャラかっての。涼平は好きな女の子の縦笛かっての!
「それにこれでお互いさまだろ。おあいこおあいこ。ふはははは」
へらへら笑う木下さんの前で、俺はこぶしを振り振りどすどす地団駄踏んだ。
「うわ超ムカツクっ。なんかわからんけど激しくムカツク!」
涼平が髪をかきあげてぽつりとひとりごちた。
「あーあ。生殺しだよこんなの。俺のほうこそ泣きたいよ」