ふるふる図書館


第25話 コンサルタントはむずかしい。3



 俺はしどろもどろに答えた。
「あの。悩みっていうか。教えてほしいことがあって。えと。辞書、ひきました。で。いっぱい意味があって。どれだか、わかんなくて」
「ほえ。ほんとにひいたのか。で、メシも食わずに考えてたのか?」
 揶揄されてる。むす、と唇をへの字にしてそっぽを向いたら、頭を木下さんにくしゃくしゃにされた。
「うわあ。やっぱりお前、か……」
 再び、途中で声を途切らせてしまう。
「また言いかけてやめて。なんなんですか」
「言わないって決めたもん」
 てことは。可愛いって口にしようとしてたんだ。
「わかりました。『可愛い』ってのは、俺がむっとするよーな意味だってこと、ですね? だから、もう言わないってことですね」
「へ? なんでそーなんの」
 欽ちゃんっぽい返しをしてくる。
「ストレートな表現だと、羞恥のあまり悶死すんじゃねーのお前。でも『可愛い』って言葉に変換すると怒るんだよな」
 ……ど。どういうことだ。まさかまさかまさか。
 俺の頭の中は、仮装大賞の得点パネルみたいなことになった。思い浮かんだ意味が胸の中に浸透していくたびに点数音が鳴り鼓動が速まり血がのぼり、ついにはファンファーレが鳴りひびいてぶっ倒れそうになった。やっぱり俺を殺す気だ。証拠も残らない完全犯罪だ。なにが「聞いたところでなにも変わらない」だ俺よ。生命の危機に瀕してるじゃんか。
「それなら、きちんとはっきり誤解の余地もないほどわかりやすい単語にしたほうがいいのか?」
 俺は周章して激しく頭を振った。
 ちっちゃいころを思い出した。不二家の店頭に立っているペコちゃん人形。首が揺れるのがおもしろくて、頭を遠慮も容赦もなしにべしべし叩いて遊んだっけな。舌を噛み切りそうな勢いだったのに、つぶらな瞳で俺を見つめておだやかに微笑んだままぶしつけなクソガキに文句をつけることもなかったが、今日頭を振りどおしなのは、あのときのペコちゃんの呪いだろうか。憑依されてんのかもしんない。
「いーのか? 聞きたがったのはお前だぞ?」
「だけど、でも、だってっ。そーだ。き、木下さんの番ですよ、さ、悩みを打ち明けてください」
「うんそーだな」
 あっさり引き下がって、木下さんは居ずまいを正した。
「お前が察したとおり、俺はな、父親の再婚を恨んでる」
 深刻な話だ。真剣に受け止めなくちゃ。俺は一刻も早く落ち着こうと、熱すぎるほっぺたに両手を当てて、すうはあと深呼吸した。
「フジモトのおかげで」
「フジモト?」
「彼女だ。継母。あいつのせいで葛藤してる」
 木下さんは、俺に近づき、俺の体にそろりと腕をまわした。ドキリ。心臓がやかましく飛び跳ねた。せっかく手もとに引き寄せた平常心がまた意地悪くスキップしながら遠ざかる。
 傷心の木下さんが触れてくる動作が思いのほか優しくて、話しかたが思いのほか弱々しくて俺はどうすればいいのか途方にくれた。
「さっきも……あんなの見せつけられたら、あてられる」
「木下さん」
 ただ不器用に名前を呼んで、背中にそっと手を添えた。どうやって慰めればいいのかさっぱりわからん。俺って無力だ。ガキだ。
 そうだ、木下さんのお父さん、木下さんのことを俊介って呼んでた。不思議だな、木下さんはどこに行っても木下さんなのに、俺にとっても木下さんなのに、俊介って名前があるんだよな、俊介って呼ぶ人がいるんだな。そりゃ、前にも俺、俊介さんって呼んだことあったけど。あんなんじゃなくってごくごくふつうに呼ぶ人が存在してんだな。なんて、あたりまえのことを生真面目に考えた。
「しゅんすけ、さん」
 胸の中でしゅんすけ、しゅんすけって転がしていたら、口からぽろりとこぼれ落ちた。
 木下さんは、俺の目を凝視した。淡い不思議な色合いの虹彩がごくごく間近だ。
「どうしても、我慢できなくなる」
 つぶやいた木下さんを包む空気がふっとこちらに動いた気がして、俺は誘いこまれるように自然に目を閉じた。でも、木下さんは俺の肩口におでこを預けて、それ以上の接触はしてこなかった。
 へ?
「女に恥をかかせる気?」という台詞の意味がようやくわかった気がした。
 くそっ、思わせぶりな態度取りやがって! 肩透かし食らわせやがって。拍子抜けだよ。フェイントかよ。めちゃくちゃ恥ずかしーじゃねーかよっ。あったまきた。
 だから大急ぎでまぶたをあけて。
 木下さんの口に狙いすまして噛みついてやった。

20080114
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