ふるふる図書館


第23話 ディクショナリーはあてにしない。2



 沈思黙考するあまり、兄貴が目の前で携帯をいじっていたことに気づかなかった。
「今話してもいいですか。……はい。ウチの愚弟が話があるっていうんで、代わります」
 ほら、木下さん。兄貴はこともなげにさらりと、俺に携帯を押しつけた。
「えっ、ええっ。そんな勝手に! 俺には話すことなんてない。ないから!」
 あわてて叫んで、これまたあわてて口をつぐんだ。通話口を押さえてないから、相手に筒抜けだ。今のはさすがに、いかに能天気な木下さんでも不愉快になったかもしんない。おそるおそる、電話を耳にあてた。
「もし、もし」
「俺と話すこと、ないんだ?」
 のんびりした声が鼓膜を震わせる。
「わ、すいません、ごめんなさい。突然だったから、前触れなかったから、びっくりして!」
 俺はコメツキバッタのようにひたすらぺこぺこ謝った。
「なにをそんなにびっくりしたんだよ?」
 ふだんどおりの軽々しい声に、俺は心底ほっとして息をついた。でも、この質問においそれと答えることは難しい。むむ。
「どうしたんだ。悩みごとか?」
「いや、その」
「今、家だろ。ちょっと外に出られるか? 俺はまだ車だから、近くまで行くよ」
「えっ、もう遅いですから。それに今日じゃなくたって」
「俺たちが次に勤務が重なるのは、四日後だぞ」
 いつも思うことだけど、俺のシフトをよく把握してるよな。部下の管理をきちんとしてるんだなあ。
「ためいきなんかつかれたら、よけい気になる」
「いえ、これは、ちがうんです」
 安心のあまり漏らした呼気をきっちり誤解されてしまった。
「遠慮すんなって。それとも、夜中に外に出るのはまずいのか?」
「そんなことは」
「じゃ、そっち向かうから。近所にセブンイレブンがあったよな、そこで待ち合わせな。あと十五分くらいで着くと思う。これアズサの携帯だろ、もう切るぞ」
 もしかして、俺には重大な悩みがあって、それを見かねて兄貴が木下さんに電話をかけたものの気兼ねするあまり今すぐ打ち明けられずにいる、そんな設定ができあがってるのか木下さんの中で。俺、そんなキャラじゃねーだろどう見ても!
 兄貴に、しっかりやって来いよな、と送り出された。なにをだ、なにをしっかりやれとゆーんだ。辞書とパソコンを貸してくれた恩も忘れて、恨めしくなった。
 夕食も食わずに外出する息子を、親はうろんそうに見やったが、兄貴がうまくフォローしてくれた。や、こんな羽目になったのも、もとはといえば兄貴が原因でもあるんだから、感謝しないでおくことにしよう。
 しかし、こうなってしまった以上は、悩みごとがあるふりをしないといけないんだろうか。
 セブンイレブンへ歩いて行く道すがら考えていたら自然にしょぼくれたトホホな顔になり、よりいっそう信憑性が増す事態に陥ってしまった。
 知りたいことはある。兄貴の言うとおり、俺には答えを教えてもらう権利あると思う。
 でも知らなくていいことだ。聞いたからって、なにかが変わるわけじゃない。現実は動かない。ましてや、滋養強壮、食欲増進、家内安全、大願成就、そんな効力まるでねーし。

20080112
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