ふるふる図書館


第21話 ジェントルネスはかんちがい。1



「帰っちゃうなんてつまんなーいっ! 湯上がりシーンを見たかったのに。一緒に朝飯食いたかったのに。仲よくラブラブ出勤したかったのにー」
 いったん家に帰ってシャワーと着替えをすませ、昼過ぎにバイトに入った俺を待ち受けていた木下さんの第一声がこれだ。唇をとがらせて、グーにした両手を上下にぱたぱた振りまわして拗ねてみせるいつもどおりの態度。
 ああ、俺のこと嫌いなのに、気安い態度で気遣ってくれてるんだなあ申し訳ないなあと、木下さんの顔をしみじみと見つめた。
「んん? どーしたんだ。あ、さては。夏の朝の畑から採れた新鮮もぎたて野菜みたいに、きれいに洗ったところでまるかじりされると思ったのか? 朝飯に食われるのは自分じゃねーかと心配したのか? 大丈夫大丈夫、そんなことしねーから」
 俺のほっぺたをつんつんつっついて、にまにまする。
 そりゃあそうだ、ひとつ屋根の下に美人の奥さんがいて、そんな不埒な行いに及ぶわけない。人道に照らしても嗜好の面においても。
 スタッフルームにはほかにも従業員がいたから、木下さんの声はまる聞こえだ。こんなところでそんなことを言えるなんて、冗談に決まってる。

「あっ、コウちゃん!」
 人目につかないバックヤードのあたりにいたら、涼平が小走りに駆け寄ってきた。
「涼平。予備校は?」
「もう終わったよ」
 え、と思って腕時計に目を落としたら、仕事を始めてから何時間も経っていた。いつの間に。
「コウちゃん、昨夜は大丈夫だった?」
「うん。二日酔いもしなかったし」
 こたえたら、二の腕を両手でつかまれた。俺の目をのぞきこんで問いかける涼平の視線は真剣そのものだ。
「その……なにもなかった? 無事?」
「うん。俺、今ものすごくすがすがしい気分なんだ。晴れ晴れしてて」
「ってことは。あの、その……」
「もう、悩んだり迷ったりしないんだ。身も心もすっきりさっぱりした。まるで生まれ変わったみたいに爽快だよ」
「身も心も……。そう。そうか。そうなんだ……。わかった。コウちゃんがそれでいいなら、俺はなにも言わないよ。よかった……ね」
 涼平が優しくそっと笑った。
「悪かったな、心配かけて」
「ううん。俺、コウちゃんの友達でいられるだけでいいから。ほんとに」
 そう言ってくれるの涼平だけだ。あ、いかん、不覚にも涙ぐみそうになる。

20071103
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