第20話 ハートブレイクはおちこまない。3
「身内みたいなものって言っていましたよ、七瀬さん」
「家族や肉親だからって、いい関係とは限らんだろう」
あまり立ち入ったこと聞いたらよくないな、と口をいったんつぐんだら、逆にレイさんが質問を投げかけてきた。
「そちらはどうなの?」
「どうって」
「昨日のお連れさん。特にアルバイト先の人。ずいぶん仲よさそうに見えたが」
「あの人はただの……」
ただの、なんだろう。
先輩? たしかに、俺よりもあの店に長くいるんだから先輩だ。
上司? たしかに、バイトに指示を出す立場だから上司だ。
知人? たしかに、知り合いだから知人だ。
友達? そんなんじゃない気がする。年代がちがうし。
仲よし? そんなんじゃない気がする。俺のこと嫌いだし。
木下さんは、俺の、知人で先輩で上司。
それだけだ。
それだけか。
それだけだよ。
ううん、どこかちがう。
第一、巷では、部下や後輩に対し口には出せないあんなことやらこんなことやらするもんなのか、一般的に?
「びみょーだ……。人との関係を枠にはめるのって、難しいんですね」
今までは、家族とか、先生とか、友達とか、先輩とか、後輩とか。迷うことなかったのに。どうして木下さん相手だとうまく適用できないんだろ。
「無理して当てはめてもしかたないだろう」
「微妙でもいいんですか」
「フォルダを作って、すべての人を振り分けるのか? 友人フォルダ、知人フォルダ、顔見知りフォルダって。そんなの誰に見せるわけでもなし。他人に口出しされる筋合いはない。決める権利も決めない権利も自分にあるだろ」
レイさんはあっさりと断言する。
そうか。
そういうもんか。
そういうもんなのか。
曇り空の雲が切れた気がする。
「七瀬と俺の関係も、桜田君の言う『微妙』だ。血縁じゃない。付き合いは長い。一緒に住んでもいる。しかし、互いに友達だとは思ってない。あいつはこちらを嫌がっている。だけど、あいつのことは大事だ」
大事って。
俺は妙にドキリとして、シナモンシュガーのたっぷりかかったフレンチトーストの皿に目を落とした。
「なにを赤くなってるんだ」
恥ずかしいことをぬけぬけ言った張本人が平然として冷静そのものだ。面の皮が何センチあるんだよ。
「いえっ別に」
俺はあわてて首を横に振ったけど、内心、首を縦に振っていた。
すとんと降ってきたレイさんの言葉を胸のうちで反芻しながら。
微妙でもいいんだ。俺と木下さんの関係も、世間一般の常識にとらわれなくていいんだ。
木下さんについて、未知の事実があれこれ判明したけれど、それにとらわれてがんじがらめになることない。
枠組みにはめこむことなく、俺たちにとっていちばんいい関係を探していこう。これからは、そうやって木下さんに接していこう。ずっとよくしてくれた木下さんに、そんなやり方で恩返ししよう。
たとえ、木下さんが俺のことを嫌いでも。
よかった。バイトに行けそうだ。木下さんとふつうに顔を合わせることもできそうだ。
「お悩みは解決したのか、青少年。カウンセリングは、ショートブレッドの礼だ。だからそのモーニングセットはおごりじゃないぞ」
これって。俺を力づけるための会話だったのか? つか、俺がしょぼくれすぎてたのかもしれんけど。
意外にレイさん、いい人だったりして。認識を改めようせめて一ナノミクロンくらいは。
ドアがひらいて、ベルがからからと鳴った。
「ただいまあ。あれ、桜田君? いらっしゃい」
七瀬さんが買い物袋を提げて現れた。
「こいつとふたりだったの? うわあごめんね。いじめられたりしなかった? 大丈夫?」
「い、いえいえっ。そんなことないですっ」
「うんうん、ここで真実は言えないよね。あとで事情聴取のうえ処分を下しておくからね」
息巻く七瀬さんを、レイさんは鼻で軽くふふんとせせら笑った。俺たちにはまるで興味なさげに、いつの間にやら新聞など読んでいる。
俺はおかしくなって、顔の筋肉と心がほぐれてきて、やっと笑うことができて。
まだあたたかいトーストの続きに手をつけたのだった。