ふるふる図書館


第17話 サンセットをながめたい。3



「コウちゃん、読んだことある? 『星の王子さま』。夕焼けの話が出てくるんだ。これなら、椅子を動かすことなくきれいな夕焼け空を眺めることができるってわけだよね」
 涼平がゼリーの入った器を目の前にかざす。
 その話、なにかが満了になったんだよな、去年。著作権保護期間、だったっけか。で、岩波以外からのいろんな出版社から新訳本が出てるんだ。うちの店でもフェアをやったりしてる。
「俺、ちゃんと読んだことないかも」
 かも、じゃない。実はひとかじりすら読んだことない。子供のころ手に取ってみたけれど、いきなり出てくる大蛇の絵にびびって本を閉じてしまった。で、それっきりになってしまったのだ。あたたかみがある可愛いイラスト、なんて言う人もいるけど、俺にはトラウマなのだ。猛獣や象を丸呑みにできる大蛇とか、怖すぎんだろ。
「語り手の飛行士に王子が、日没のころが好きだから、一緒に眺めに行こうと持ちかけるシーンがあるんだよ。でも地球は大きすぎて、好きなときに見ることができないんだ」
 うらやましいやつだな。恥ずかしいことを臆面もなく口にできるとは。子供だし、地球外生命体の異星人だから、大目に見てやらなくもないけど。
 たとえば俺にもし、恋人ができたら、そんなふうに誘えるだろうか。相手によるのか。よしっ、誘える人を俺は恋人にするぞっ。
「でね、悲しいとき王子は自分の星で一日に四十四回も夕暮れを眺めたことがあるって言うんだよね」
「んー。俺は一日一回でいいけどなあ。何回でも好きなときにだなんて節操も情緒もないじゃん。限られたときにしか見られないから価値があんだろ。さすがエイリアンのやることはちげーよな」
 木下さんがそう口をはさんだ。
 そうか。俺たちは同じ星の同じ国に住んでるんだ。一緒に眺めることはかなわなくても、同じ時間に同じ空を目にすることはできるんだ。俺ひとりで見ていても、ひとりじゃないんだ。
 あたりまえすぎることなのに、その発見は俺の胸にじんわり染みた。
 ふと窓の外を見て木下さんが言う。
「お、ちょうど頃合いだな」
 気づけば黄昏が迫り、空がオレンジ色から紺色までのみごとなグラデーションを描いて街に覆いかぶさるように広がっていた。
 木下さんの虹彩が、残照を浴びて猫みたいに金色になる。ただでさえ、いつもより二割増しはランクアップして見える体裁なのに、そんな顔を見せられたら、俺はどうしていいのかわかんなくなる。
 呼吸が楽にできなくなり、ためいきに乗せて苦しさを逃した。窒息しそうだ。殺される。俺が死んだら木下さんのせい以外ありえない。水もないのに溺れてるみたいだ。いったいなにに?
 俺、病気なんだろうか。お医者さまでも、ってやつ? いやいやいやまさかまさか、医者が駄目でも、草津の湯でなら治るだろ? 治るといってくれ誰か。こんな不治の病は願い下げだ!
 切なくて悲しいとき、夕暮れが恋しくなるって?
 夕暮れを見たら切なくて悲しくなる場合はどうしたらいいんだ。相乗効果でますますエスカレートするだろうが。問答無用で拍車がかかるじゃんか。

20071013
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