ふるふる図書館


第15話 ハーツイーズはほどとおい。2



 なに、今の!? うそうそうそ信じらんない信じらんない信じらんない変態変態変態!
 木下さんはひょいとイヤーカフを再装着してくれた。微妙に生あたたかくて湿ってる、気がする……。
「ごちそうさまでした。お子ちゃまには刺激的すぎたかな?」
 ショックを受けた俺の様子をすっかりしっかり堪能し、にやりとする木下さん。なんてむごい仕打ちだ! 俺の大事なアクセサリーなのに!
 俺の心身は真っ白に燃えつき、風が吹いたら灰になってきれいさっぱり飛ばされそうだ。しばらく立ち直れそうもねえ。
「大丈夫、コウちゃん。後で殺菌消毒すればいいよ、ね?」
「あら言ってくれるじゃないの。さてと、そろそろ行くとすっか。ナナセさん、だっけ。いや、やればできる子なんだな、桜田がお客の顔と名前をすぐにおぼえるなんて」
「それは俺への意趣返しですか?」
「あらあらそう聞こえましたか?」
 木下さんと涼平が和気あいあいとしゃべってる。かろうじて俺も会話にまじった。
「顔を見分けるのは苦手だけど、文字をおぼえるのは得意なんですよ。七瀬さんの場合、名前を見たからだと思います」
「だってさー。作戦まちがえたねー、リョーヘー君」
「木下さん。今日は俺たち、利害が一致しているはずですよね?」
 涼平がにっこりすると、木下さんがその肩をがしっと組んだ。
「そうそのとおり。ようし共闘だ!」
 いったいぜんたいなんなんだ。俺だけハブ? 仲間はずれ?
 木下さんは珍しくあんななりだし、涼平もいつもさりげない服だけどスタイリッシュだし。俺だってそれなりに身だしなみには気遣ってるけど……拭いきれない疎外感。やっぱりふたり仲いいんじゃん。ついためいきがこぼれ落ちる。
 仲よきことは美しきかな、と武者小路実篤の言葉を胸のうちで反芻し、ついでにかぼちゃやなすびの絵を心の中で書き添えて、暗い気分を追い出そうとつとめた。
 助けて七瀬さん。
 待ち合わせた駅から歩いて数分のところに、七瀬さんの店はあった。
 名前は「ハーツイーズ」。想像を裏切らない、落ち着いてレトロでアンティークで、ほんのりメルヘンな佇まいだ。ちょっとドキドキしながらドアをあけると、取りつけられてるベルがからんからんと軽快な音を立てた。
「いらっしゃい。桜田君」
 カウンターにいたエプロン姿の七瀬さんが、顔をほころばせて迎えてくれた。それだけで俺の心にほんわり明かりが灯る。砂漠で出会ったオアシスだ。乾ききった五臓六腑に澄みきった水がしみわたる。
 俺が連れのふたりを簡単に紹介すると、「こんにちは。どうぞよろしく」と七瀬さんがちょこんと頭を下げた。木下さんは微動だに、というかまばたきすらせず七瀬さんを凝視している。口はあんぐりだ。
 それ見たことか、オヤジだなんて決めつけるからびっくりするんじゃないか。俺はひそかに溜飲を下げた。ああすっきり。これで、「ハーツイーズ」での就労を反対する理由はないだろ。ふふん。
「この店の持ち主? そんな若いのに?」
「若いだなんて」
 七瀬さんは照れたような笑みを浮かべて、木下さんにおっとり答えた。
「正確には、親族がオーナーです。そろそろ引退すると言っていますけれど」
「そのあとを継ぐんですか」
「はい。そうなります」
 ふえ。金持ちなんだ。だからバーバリーの傘なのか。と、ここで来訪目的のひとつを思い出した。
「七瀬さん、傘ありがとうございました。これ、お礼です」
 借りていた傘と、お菓子の包みを差し出した。
「わあ、ショートブレッド? イギリスのお菓子ですね。大好きなんです、ありがとう」
 七瀬さんが大きな瞳をきらきらかがやかせる。ま、まばゆい。
「俺が焼いたんで、口に合うかわかんないですけど」
「わざわざ作ってくれたの。嬉しい。かえって気を遣わせたみたいですね、すみません。来てくれるから、今日はこちらがごちそうしようと思っていたんですよ」
「だって、そんないい傘を貸してくれるなんて。なくしたらどうしようって緊張しちゃって」
「あはは。これ、にせものですよ。ほら、パーパリーって書いてあるでしょ」
「え、うそ」
 俺は顔を近づけて、七瀬さんの指し示すロゴにじいっとじいっと目をこらした。
「いや、やだなもう、どう見てもバーバリーじゃないですか、からかわないでくださいよう」
 七瀬さんはうふふと笑った。
「ごめんなさい。さ、みなさんお好きな席に着いて。今日は当店のおごりですからなんでも好きなもの頼んでください。遠慮なさらず」

20070930
PREV
NEXT
INDEX

↑ PAGE TOP