第14話 アポイントメントはたたかい。3
ややあって、木下さんの声が静かに伝わってきた。
「怒ってる?」
もしかして心配してくれてる? 俺のこと。
いつものへらへらした覆いを取り去った、ついうかうかと聞きほれてしまいそうな深くこころよい響きは、心臓をつかまれたように俺を苦しくさせる。ずるい。
「怒ってます」
俺の返事はかすれてのどにからまった。
「……泣いてる? 公葵」
「な、泣いてませんっ。それに名前、呼ばないでください!」
そんなタイミングで。そんな声で。そんなふうに。呼ばないでください。
俺は足元にころがっているエアプランツを拾い上げてそっとなでた。心の中で「ごめん」とつぶやいてもとの位置にそっと戻した。
罪のない草に八つ当たりはよくない。
「その店に面接行くのか? いつ?」
「まだ。一度遊びに来てくださいってすすめられてます」
「俺もついてく」
「はあ?」
「遊びに行くだけだろ。俺が一緒だっていいじゃん」
「それは、そうですけど」
七瀬さんとふたりで落ち着いてじっくりゆっくり話してみたかったのに。木下さんがいたら、そんなことできないじゃないかっ。
「不満そーだな。やましいことでもあんのか? 俺が行くって決めたんだから、行、く、の!」
「シフトは?」
「お前、あさって休みだろ。俺は早上がりだ。その日でいいか、いいだろ、いいよな。その変態オヤジの顔を拝むの楽しみにしてる」
「へ。変態オヤジて」
店をやってると聞けば、ある程度年いった男の人を想像してもおかしくないけど。なんだってそんなに闘志と敵愾心燃やしてんだ。
訂正しようと思ったが、七瀬さんを前にした木下さんのリアクションを観察したかったのでやめといた。
「木下さん、ねえ、仮にも相手はうちのお客さまですよ。お客さまは神さまですって三波春夫が言ってましたよ」
「お客さまだろうがなんだろうが、青少年に魔手を伸ばすような輩は神さまと認めん」
同類だって自覚はないらしい。
「あ。あとねえ、木下さん。まともな格好してきてくださいね」
俺の誕生日の二の舞はごめんだ。忘れないうちに釘刺しとかないと。
「せっかくふたりでお出かけなんですもん」
木下さんはしばし沈黙した。やべ、よけいなこと言ったかな。
「もしもし? 木下さん?」
「お前、やっぱり危ないよ。さらっとそーゆー発言して悩殺するから、変態スケベオヤジに目ぇつけられんの」
「は?」
悪口いっこ増えてるし。
「どーゆう? どこがですか?」
「教えてあげないよ。じゃん♪」
「ポリンキーの歌を歌ってごまかさないでください」
スリー・ポリンキーズのメンバーかよ。ジャンかポールかベルモントかよ。おいしさの秘密も三角形の秘密も今は興味ないぞ。
「じゃあ。危険が迫ったら、俺のこと守ってくれるんですか。木下さんがちゃんと教えてくれないのがいけないんです。責任取ってくださいよね」
「いーよ」
即答。しかも軽っ! 信憑性なさすぎ!
「だったら、俺から離れるなよ」
「え」
その発言に、俺の心臓がぴょーんと逆バンジージャンプをする。
「そーだろ、遠くにいたらどーやって守るんだ」
「あ。そか。んんー、なんか、なんか、納得いかないんですけど……」
悩んでいると、木下さんがあははと笑った。
「じゃ、また明日な。俺もお前と同じで早番だから。あさってのこと煮詰めような。おやすみ」
「おやすみなさい」
「……せっかくお前からメールくれたのに。ごめんな、泣かせて」
切れる間際の小さな低いつぶやきを聞き返すわずかな隙も与えずに、携帯はツー、ツーとうるさく音を立て、余韻を追いかけようとする俺をじゃました。