ふるふる図書館


第12話 アンブレラのであい。3



 沈黙が束の間落ちた。雨足が強くなった気がした。雨音がその静けさを埋めてくれた。
「今日って、雨の予報だったんですか」
「うん、降水確率五十くらい」
 傘を持っていない人が多くて、みんなが駅まで走っていくのを横目に俺たちはゆっくり歩いた。
「あんなに晴れていたから、意表をつかれました」
「ああ、写真撮ってましたね。空の」
 俺は夏の夕暮れが好きだ。空をしみじみ眺めて、暑さが和らいだ心地よさをかみしめながら誰かとゆっくり歩きたいと思う。
 木下さんはぜってー無理だな。テンション高すぎるもんあの人。繊細な侘び寂びなんてどーでもよさげなラフっぷりだ。涼平なら共感してくれっかもしれないけどやっぱちょっと照れくさいしな。
 七瀬さんだったら、きっと俺のそういう心、わかってくれそうだなあ……。
 なのに俺は素直になれず、「なんか、うまそうだったから」だなんて言葉を吐いてしまった。うわ、俺とんでもなく頭悪そうっ。なにをとち狂ってんだこのすっとこどっこい!
「え。おいしそうってこと?」
 当然の疑問を七瀬さんが口にする。
「俺、食い物作るの好きなんで。ああいう色のお菓子があったらいいなって……ゼリーとか」
 しどろもどろの俺に頓着せず、七瀬さんは声を弾ませた。
「お菓子も作るの?」
「え、まあ」
「わあ、ほんと? 私も好きです!」
 いきなりの告白にぎょっとした。すぐに「お菓子作りが」という語が脳内補完されなければ、俺は見苦しいほどうろたえまくっていたかもしんない。
 そうだ。七瀬さんが取り寄せたの、やたらキュートなスイーツの本だった。だから恥ずかしいなんて言っていたのか。
「夕暮れの夏空ゼリーかあ。いいなあいいなあ」
 七瀬さんは握り合わせた両手を胸の前で振ってやたら興奮している。子供みたいだ。
「あ、ごめんなさいひとりではしゃいじゃって。ああ、もう、なんか、桜田君、スカウトしたい!」
 スカウト?
「あのね、親族が喫茶店をやっているんです。いろいろなスイーツを考えて作ってるんだけど、桜田君みたいな発想ができる人がいたらすごく嬉しい。接客もいいし、ああほんと、うちでバイトしてほしいなあ」
 しゃべることに一所懸命だ。さっきまでのふにゃっとしたほんわかさは一体どこへ。降ってわいた突然の話にぼうっとしてると、七瀬さんはややクールダウンしたようだった。
「でも本屋さんのバイトしてるから。無理は言いません」
「いや、すごい興味ありますよ。本屋の仕事だって毎日じゃないし、俺でもしよければ」
 まぎれもない本心から俺はこたえた。
「すみません、ちょっと落ち着きます。ええと、一度店に遊びに来てみてください。最近の若者は喫茶店じゃなくてカフェ、でしょ。昔ながらの店構えだから感覚に合わないかもしれないし。高校生っていったら平成生まれだもんね。すごいなあ。いやでも、高校のそばにあるので、お客さんは高校生も多いんですよ。もしかしたらいけるかも」
 落ち着いてないっぽい。内容が支離滅裂だ。柔らかそうな髪を何度もかきあげるも、沈静効果は薄らしい。
 つられたのか、俺までドキドキしてきた。レトロでアンティークな店で、オリジナルスイーツが充実している、そんな場所でバイトができる? おまけに七瀬さんの店? あれよあれよと進んでいくこの展開は何なんだ?
 店の名前や住所や電話番号が書かれたカードをもらった。地図も載っている。俺の家と同じ私鉄の路線沿いにあるのか。けっこう近いじゃん。
 七瀬さんとは同じ電車に乗り、途中で別れた。俺の家が最寄駅から遠いと知ると傘をそのまま貸してくれた。
「今度いつ本屋さんに行くかわからないし、うちの店に遊びに来てくれるときに返してくれればいいから」
 そんなことを言って電車を降りる俺を見送った。ホームで振り返るとまた手をひらひら振るから、振り返すべきか、頭を下げるべきか迷った挙句、両方やった。ひとりでそんなことをするのはものすげー恥ずかしいけど「若気の至り、若気の至り」と呪文を唱えることにする。
 最寄り駅の改札を出て傘をさそうとした。よくよく見れば、バーバリーチェックの柄の傘、は、ほんもののバーバリーの傘だった。バッタモンでもパチモンでもなく。
 ブランドものにはとんと疎い俺だが、かなり高いということぐらいはさすがにわかる。
「ええっ、ちょっ、マジ?」
 こりゃ大変だ、俺は手に力をこめた。
 ほとんど見ず知らずのワカゾーをここまで信用しちゃっていいのか? 何者なんだあの人。よほど金持ちなのか、お人よしなのか?
 嬉しさやら幸せやら困惑やら切なさやら、自分でもわけわからんいろんな感情がごっちゃになって、人目も憚らず借りものを両手でぎゅっと握りこんでしまった。

20070827
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