ふるふる図書館


第8話 プラトニックにいきたい。1



 駅のホームで電車を待っていると、声をかけられた。
「コウちゃん」
 振り返ると涼平がいた。メアドを交換した昼間とちがって私服だ。
「バイト終わったの? 一緒に帰っていい?」
「うん。いいけどどうしたんだ、今ここにいるなんて」
「あ、俺この近くの予備校に通ってるから」
「へえ、そうなんだ」
 だからうちの店にもよく来るってわけだ、なるほどね。
「今日は、あの人は?」
「木下さん? いつも送ってもらうわけじゃねーよ」
 休憩時間のやりとりを思い出して、俺は知らず知らずのうちにむすっとしてしまった。涼平がくすっと笑う。
「けんかでもした?」
「けんか……っていうわけじゃ。だいたいそもそもけんかにもなりゃしねえよ。一応あの人上司だし」
 口論しようにも、おざなりにあしらわれてはい終了、カンカンカン(ゴングの音)! だ。俺の口はますますへの字にひん曲がった。涼平がまた笑った。でもそれは馬鹿にしている顔じゃなくて。俺の気持ちをほぐそうとしている。ほだされるなあ。こんな気遣いをしてくれる人間がはたして現在俺の身近にいるだろうかっ。否! 否! 断じて否! ときっぱり否定できるのもそれはそれで情けない。
「上司か。じゃあかなわないね」
「そうそう。俺のことまるっきりガキ扱いして馬鹿にするし。自分のほうがよっぽど大人げないくせにさ。学歴高いらしーけどさあ精神年齢低すぎ! 七こも上なんだからもーちっと年長者らしい気配りとか思いやりとかねーのかっての」
「ふうん?」
 涼平の声が少しかげった。そりゃつまんないよな、こんな話されても。反省した。
 やってきた電車に乗りこんだ。やたらと混んでいたので、ふたりで奥につめた。
 ドアが閉まる直前になって突然どっと人が詰めかけ、すさまじく押された。空調の音が一段階うるさくなった。
「ごめん……」
 涼平が消え入りそうな声で謝る。
「しょうがないよ。すぐに空くだろうし」
 体勢を立て直す暇もなくいきなり押しこまれたので、涼平と俺は向かい合わせで体を密着するはめになってしまった。かろうじて首を動かすことしかできない。うーなんだかひどく照れくさいぞ。こんな状態では会話もできないが、黙っているとさらに気まずい。
 涼平のあごが俺の肩に乗るような姿勢になっている。涼平の鼓動が二枚の薄地のシャツごしに伝わってきた。俺は別に筋骨隆々じゃないが、涼平の体つきは俺よりも細い。たぶんあまり運動しないんだろうな。清潔そうな涼平の髪と首筋からいい香りがした。シャンプーも香水も俺のとちがうみたいだな、なに使ってるんだろ。
 ぼんやりしていたら、涼平が居心地悪そうに体をもぞもぞさせた。うわっ、なんか微妙な位置に涼平の体のどこかが微妙に当たってる? つか今まで、涼平の微妙な場所に俺の体が微妙にぶつかってた?
 だけど今その点について言及するのもなんだよな。どうすりゃいいんだこのシチュエーションはっ! 俺は誓って痴漢じゃねーぞ(こんなときにもだじゃれかよ)。それとも電車でいちゃつくカップルか。ああもう。早く次の駅に着いてくれよ!
 涼平の体温が、少しだけ上昇したような気がした。視界に入る耳もほんのり赤い。
 そうだ木下さん、俺の耳に口をくっつけたよな、今日。それなんだかわかるかも。こんなところに無防備に耳があるといたずらしたくなるんだな。しかも両手が使えないとなるとやっぱり……ってうわー駄目だ駄目だっ、なにを変態みたいなこと考えてるんだ! ってことは木下さんも変態か。はい、木下さん変態決定っ! 俺の脳内サミットにおいて満場一致で可決! 次になにかされたら変態って罵倒してやる!
 いや。もうなにかしてこない、かも?
「送ってくれなくてけっこーです。ひとりで帰ります。ストーカー問題も解決したんだしっ」
 なんてかなりきつく冷たく言い切ってぷいっと出てきたんだった。木下さん怒ったんじゃないかな。あの人が怒ったとこなんてイメージすらできないけど、それだったら太陽が西から昇る光景のほうがまだ想像できるくらいだけど、でも悪魔って呼ばれてたっていうもんな。
 夏休みの宿題みるって言ってたけど、それも反故になるのか?
 うう、どうしよう。勉強教えてほしい。また助手席に乗せてほしい。一緒にゴハンしたい。俺の料理をうまいってよろこんで食う顔が見たい。ちょっかいかけられ……たくはないけど。
 どうしよう……。
「コウちゃん?」
 おどろいたような涼平のささやきが耳元でした。俺はいつの間にか、目の前の涼平の肩にぐったりと頬をうずめていた。
「あ。ごめん」
 俺はのろのろと顔を上げた。
 次の駅に着いて電車が停まり、まわりの人がぞろぞろと降り、急激にスペースがあいた。涼平から離れようとしたのに動けなかった。両腕を涼平の両手につかまえられていた。
「涼平?」
 おどろいて俺も涼平の耳にささやいた。
「あ。ごめん」
 涼平がはっとして手を離す。ふたりして同じようなことをしてしまった。俺はおかしくて吹き出してしまった。涼平も少し笑った。

20060721
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