ふるふる図書館


第5話 ファニーダックののろい。1



 学校が終わると、すぐさまバイト先に直行した。ユニフォームに着替えて更衣室を出ると、さっそく木下さんに出くわした。
「お疲れさまです」
 元気に挨拶すると木下さんが破顔した。
「おっ、早いじゃーん。感心感心。今日もよろしくな」
「はいっ」
 俺は張り切って小学生以来のいい返事をした。木下さんの普段どおりののほほんとしまりない笑顔に、ほっとしたような色が見えるのは気のせいだろうか? ふふっ甘いな。
 桜田家に木下さんが来襲し、とてもじゃないが人に言えないことを俺にしたりされたりしたのは昨日のことだ。それでバイトを辞めるかもなんて危惧したんならそれは杞憂ってゆーやつだ。俺は決意を新たにしたんだ。絶対木下さんを超えてやるって。それまでは退職するなんてもってのほかだ。みすみすチャンスをどぶに捨てるようなもんじゃん。今俺は猛烈に闘志を燃やしまくってるんだっ。
 ふっふっふ、木下さんに仕返しとして一太刀浴びせる秘策もちゃーんと兄貴から授かったんだもんねっ。あとは機会を虎視眈々とうかがって、一刻も早く実行に移すのみ。吠え面かかせるそのときが待ち遠しいったらありゃしない。

 昨夜、俺は兄貴の部屋をたずねた。もちろん、木下さんへのリベンジを果たすべく妙案を乞うためだ。
「このままじゃやられっぱなしだもんなあ。次はお前から仕掛けていくしかないな」
「うん。そーだよなっ。でもどーやって」
 俺たちはもともとひんぱんに会話したりしない。兄貴は大人っぽいし頭がいいし歳も少し離れているから、俺のことを煙たがってるんだ、嫌ってるんだ、仲が悪いんだと思ってた。なのに、こうして実に気持ちよく相談に応じてくれている。もしかすると俺、兄貴を誤解してたのかも。勝手にコンプレックスを持ってただけなのかも。うーんいけないよなそーゆーのって。俺は内心素直に反省した。ごめん兄貴。
「公葵、舌入れられた?」
「へ。下?」
 足もとに視線をやった。特になにもない。
「口に」
 口の下? あご?
「舌。タン。tongue。べろ」
 べろがどうした? べろがどうシタ。ってだじゃれやってどうする。オヤジか俺は。
「その様子じゃそこまでいってないな。今度は自分から入れてみたら?」
 なにを? 兄貴の話はさっぱり要領を得ない。俺ってやっぱり馬鹿?
「あのな公葵。お前全然わかってないだろ」
 椅子からすっくと立ち上がった兄貴が、ベッドに腰かけた俺にずいっと寄ってきた。目のさめるような真っ青な瞳が至近距離。うわっ兄貴が怒った? 俺はのけぞり、勢い余って仰向けにひっくり返った。起き上がろうとしたら押さえつけられた。
「理解できるように体で教えてやるよ」
 さらさらの金髪の先が俺の頬を撫でまわした。ひゃ、くすぐったい。
「くっ口でいいからっ」
 腕力に訴えなくても言葉で説明してくれればわかるって!
「口でいいんだろ」
 イマイチ会話がかみ合ってない?
「わあっ、ちょっとちょっと待て待て待てって! わかったっわかりましたよおっくわかりましたっ!」
 ようやく兄貴の意図を汲み、死にもの狂いで兄貴の胸を押し返した。
「うそ、べろってそーゆーことだったの?」
 俺は真っ赤になった。
「そーゆーこと。お前ってウブだなあ。反応がオボコすぎるぞ」
 ウブとかオボコとかいう問題か? 実の兄に迫られて抵抗しないほど人生捨ててないっつの。
「でもでもっ、舌を入れるってどーやってっ」
「コーチしてやろうか?」
 いらんっ。俺は首をぶんぶん振った。
「ほかに策はねーのかよ」
「もっと過激で濃厚なのがいいのか?」
 いやだっ。俺は首をぶるんぶるん振った。振りすぎてそのうちちぎれるかもしんない。
「だろうな。それが今のお前の限界だ。まあがんばれよ。大人の階段のぼってけ」
 俺はシンデレラかよ。幸せは誰かがきっと運んでくるなんて信じてねーよっ。
 もしかして楽しんでねえ? おもしろがってねえ? 煽ってねえ? たきつけてねえ? 疑問が頭に渦巻くも、兄貴に反論できない俺なのだった。たとえ兄貴が俺を乗せようとしてたとしても。いや俺に乗っかってるのは兄貴だ。いいかげん早くどけってばあっ!

 好機はいともあっさりすんなりと到来した。
 閉店後まで残っていた俺に、帰り際、車で家まで送ろうかと木下さんが声をかけてきたのだ。しめたっ。飛んで火に入る夏の虫とはこのことよ。
「いいんですか?」
 それでも一応遠慮してみる。
「おー。俺んちも方向同じだから気にすんな。お前、明日も学校あるんだろ。暑さでばてたら大変だ。今日は早くから遅くまでよく働いたからな」
 わ。どうしよ。ちょっとじんときた。こんな木下さんを、俺はこれからひどい目に遭わすんだ。決意が鈍りそう。いや、駄目だ駄目だひきさがってはならんっ。ここはひとつ心を鬼に! 腹をくくり、法螺貝でも吹き鳴らす心持ちで俺は木下さんのシビックに乗りこんだ。
 いざ、勝負のときが迫る!

20060713
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