第4話 ティータイムにつまみぐい。2
「ぎぃいいやあああああ!」
圧迫から解放された瞬間、自分のものとは、いやこの世のものとも思えぬ絶叫が桜田家を震撼させた。これなら映画「ロード・オブ・ザ・リング」の幽鬼の声の出演だってできるにちがいない。
「近所迷惑だぞ。何デシベルの悲鳴上げてるんだよ」
木下さんがけろっとしれっと尋ねる。いつもメーターの針を振り切らんばかりに賑々しい木下さんにそんなこと言われとうないわっ。
「なっなっなっなんなんですか!」
口をぱくぱく開けたり閉めたり、酸欠の金魚だ。シンクの縁につかまってようやくしゃがみこむのをこらえる。
「あれえ自分で言ったろ所有権を主張するなら唾つけろって」
「それは食い物の話でしょーがっ」
「似たようなもんじゃんうまそうなんだし」
「似てません!」
食い物か俺はっ。
「俺は梅ゼリーもお前も守り抜くぞ」
俺より前なのかよ梅ゼリーが。ってそこじゃないだろ問題は。唾つけたから、俺は木下さんのもの? 桃太郎さんのお腰につけたきび団子をもらって食ったばかりに家来にされた動物と同じか?
「いったいいつそんな話になったんですか。当の俺を抜きにして勝手に先走って盛り上がらないでください」
「あ?」
木下さんはきょとんとしている。
「お前なあ。さんざん思わせぶりな態度を取っといてそれかよ?」
「は?」
「俺のこと上目遣いでじっと見たり」
それはメンチ切ってたんですけど。と解説するのも情けないので黙っておく。
「ベッドで誘惑してみたり」
それはかんちがいだったんですけど。と蒸し返すのも恥ずかしいので黙っておく。
「エプロン姿を見せつけたり」
それは料理していただけですけど。それに別に裸にエプロンだったわけじゃないでしょーが。職場で見慣れてるはずでしょーがっ。
「みんなで晩飯食ったときのことも忘れてんだな」
「へ?」
「お前らバイト君たちと、あと社員何人かで店に行ったじゃん、前にさ。お前ウーロンハイだけでえらいできあがっちゃって。俺にすりよってくるわしなだれかかってくるわ抱きついてくるわそりゃもー大変だったんだぞ」
げ。そんなことしたっけ? まるっきりおぼえてない。すっぽり記憶なくしてる?
「俺、そのときなんか言ってました?」
おそるおそる質問すると。
「ほかのやつらも相当酔ってたから、誰も聞いてねーはずだ、安心しろ」
みごとにとどめを刺された。一縷の望みも完全粉砕。
げえええ。俺の顔は赤くなればいいのか青くなればいいのか目まぐるしく点滅していたかもしれない。これがいわゆる酒の席での失敗ってゆーやつか。ああ、俺の口から魂魄が抜けていく。エクトプラズムだ。
「……うそお」
魂とともにつぶやきが漏れる。