ふるふる図書館


第四部

第九話 成功に関する一考察




「はいはあい、みなさーん。並んだ並んだ! 押さないで、順序よく!」
 盛大にコーラスしている蝉たちに負けじとメガホンを手にした滝沢季耶が、会場である体育館の前で客を誘導している。単なるにぎやかしで終わらず、すっかり桜花高校演劇同好会の広報担当に落ち着いているようだ。さらには照明役までかってでている。
 生徒の自主性をはぐくむのだ、ともっともらしい口ぶりと顔でうそぶき、座視を貫きつづけた木野忍(きのしのぶ)教諭も、さすがに姿を見せている。
 新聞部の田浦悠里と西条要(さいじょうかなめ)も、メモを取り写真撮影している。校内誌「さくらジャーナル」で何度も特集を組んだため、宣伝効果はかなり上がったようだ。生徒用のチケットがおどろくほどよくはけた。
 一般客もかなり動員している。
 どこかで、綾小路真琴も見ているだろう。義理の息子がいるのだから不自然なことはないと言って、堂々と客席を陣取っているのかもしれない。あの人のやりそうなことだ。
 業界に縁のありそうな人間が散見されるのは、おおかた、山城迪香御大の口ききだろう。政財界にも通じているようだし、何者なのだかまったくもって謎だ。
 ひとりで舞台をつとめる飛鳥瑞樹は、森川知世の伯母が作成した衣装に着替え、楽屋で用意している。緊張感などいっこうにただよってこないが、それでも、気持ちの高揚はあるようだ。
 知世は、瑞樹につきそっている。メイクの仕上げをしているだろう。
 さっきまではここにいて、さんざん不平をならしていた。
「なんで? なんでおれがこんな愉快な服を着ないといけないんだ。奇をてらいすぎてるってば」
「客寄せに決まってます」
 毅然とした態度で言い切ったのは、腰に手を当てて滋養強壮ドリンクを飲んでいた季耶だった。おっさんくささもはなはだしい。
「仮装大賞っていうテレビ番組、あるでしょ? 審査員はみんな仮装してるんです。それと同じです」
「だけどこれ、どう見ても仮装というより、こっ、こっ、コスプレじゃないか!」
「こっここっこ、にわとりかお前は。いつまでごねるつもりだ、往生際の悪い」
 春日玲の知世を叱りつけたことばは、氷の切っ先のようだ。完膚なきまでに叩きのめされ、知世は服のすそを握りしめたこぶしをうちふるわせ、ぐうの音も出なくなった。
 まとっているのは、ひらひらしたフランス人形みたいな衣装。ボリューミーなとうてい、日本人十七歳男子が昼日中の学び舎で身につけるものではない。
「森川! こっち向けこっち!」
「ああもう! 見世物じゃないぞっ。しっしっ」
 カメラを構える同級生を、髪のはえぎわから首筋から耳たぶまで赤くしてどなりつけていた。
 またぞろ、写真部の妹尾司(せのおつかさ)のこづかいのたねになるのだろうが、そんなよけいな心配をしてやる玲ではない。
 こうして、舞台はととのった。
 演目は、「サロメ」。
 なぜなら、十年前のあの日に上演されていたのが、「サロメ」だったからだ。それを、脚本担当の玲がアレンジした。
 挑戦状というわけである。あの日の、あのころの自分を取り巻いていたすべてに向けての。

「サロメ」には、ヒロインが肌もあらわに踊るシーンがある。
 まったく、なんていうチョイスをしたんだ、十年前の演劇部ときたら。いや、全面的に責任があるのは、綾小路真琴か。まったく、父らしいお遊びだ。
「サロメ」を演じるには、それなりに顔のよい役者が必要だ。メイクと遠目とライトと演技力であるていどはごまかせるにせよ。
 飛鳥瑞樹は、まさに適役だったというわけである。
 くわえて、演技力も申し分ない。これ以上うってつけの逸材は、またと出ないだろう。役に入りこみすぎて、少々あぶなっかしいきらいはあるが。
 瑞樹は、森川知世が卒業したら、同好会を継続するつもりはないと言う。知世も、それを承諾した。
 だから、実質、同好会にとって今日が最後の日なのである。今日をかぎりに、同好会は解散するのだ。

 舞台の上で、瑞樹の演じるサロメは美しかった。
 サロメは一般的に、妖艶で官能的で情熱的で強欲な狂女というイメージが強い。
 しかし、今、月明かりに模したライトを浴びているのは、玲がつくりあげたサロメ。純粋で純真で汚れを知らないサロメだった。義父から向けられる好色な視線に苦悩し戸惑い、実母の無関心さと冷淡さに傷ついて心を閉ざす、孤独なサロメだった。
 ほんもののサロメは十代の王女だが、玲は脚本では、サロメをはっきり少女とさだめなかった。中性的な、というよりむしろ少年ととれるサロメである。
 手間ひまかけた壮大なあてこすりだ、と我ながら思う。
 客席にいるはずの実父や養母は、このメッセージを受け取ってくれるだろうか。息子から自分たちへの皮肉だとわかるだろうか。おのが身を反省したりするだろうか。まあ、特に期待はしないが。
 なんと自分に似つかわしくない行動か。いつからおぼえてしまったのだろうか、誰かに期待をかけるなんて。そんな不確かで他力本願で、甘えや信頼と紙一重の行為など、しようとしたことさえないはずだったのに。
 袖にいる玲の前には、獄につながれている預言者ヨカナーンにも拒まれ、悲しみに打ち震えるはかなげなサロメがいる。
 ヨカナーンは、サロメを指弾する。「呪われた生まれの者よ、近づくな、お前こそが諸悪の根源なのだ」と。その通りだと認めつつも、サロメは深く沈みこむ。
 父王の誕生日の宴の席で、請われてサロメは有名な「七つのベールの踊り」を舞う。身にまとったベールを次々に脱ぎ捨てていく。
 たいそうよろこんだヘロデ王は、約束どおりサロメに何でも望むものを褒美にとらすと宣言する。
 サロメは、無邪気で可憐なほほえみを浮かべ、銀の大皿に乗せたヨカナーンの首を所望する。
 王はどうにかしてサロメを説き伏せ、あきらめさせようとするが、頑として首を縦に振らない。神に誓った約束を破ってはならない王者として、王はとうとうサロメの願いをかなえざるをえなくなる。
 ヨカナーンの首(のつくりもの)を前に、サロメは歓喜の色を瞳に浮かべる。
「ああ、ヨカナーン、とうとうわたしのものになったのですね。どうして何も話してくれないのです? どうしてわたしを見てくれないのですか? まだわたしを拒むのでしょうか。わたしが愛したのはあなただけなのに、わたしをごらんになろうともしてくださらない。あなたがあんなにさげすんだ、わたしをごらんになってください。さあ」
 頑是ない子どものようにあどけなく語りかけるサロメは、取り乱して感情を剥き出しにするよりよほど狂気を帯びて映り、観客をぞっとさせることに成功していた。
 もし自分を拒絶されたら、その相手を殺すだろうか、と玲は自問し、隣で瑞樹を見守る知世に視線を走らせた。策をめぐらせ、あの手この手で自分に縛りつけておくかも知れない。いずれにせよ命を絶つだなんて、もったいなさすぎる。生きているからこそ、どうとでもできるのに。
 ヘロデ王が、命令をくだす。
「サロメを殺せ!」
 兵たちの槍が殺到し、サロメはヨカナーンをしっかりかき抱いたまま、苦悶の表情を浮かべる。
「ねえ、ようすが変じゃない?」
 知世が、そっと耳打ちしてきた。確かに、瑞樹が、妙に苦しげなのである。演技だとしたら、真に迫りすぎている。
 ライトは当たり続けている。まだ幕も下りない。
 何か、発作でも起こしたか。精神に負荷がかかったのに違いない。瑞樹は、役にのめりこみすぎて精神のバランスがくずれそうな危うさがあった。くわえて、久々の舞台だ。
 知世が、一歩足を踏み出しかけた。その二の腕をすばやくとらえて鋭くささやいた。
「今行くのか?」
「だって。ほうっておけないよ。急病かも知れない」
 目の前にいるのは、十年前の知世だった。玲にハンカチをさしだしたあのときの。
 玲の力は、知らずゆるんだ。
 知世は、倒れ伏す瑞樹に一心不乱に駆け寄った。
 サロメには、強力なスポットライトが当てられている。知世の姿は、突如わいて出てきたかのように客席からは見えただろう。おまけに、異様に現代離れしたいでたちだ。
 知世がひざまずくと、サロメは速く浅い呼吸を繰り返しながらもほほえんで、知世に取りすがり、途切れ途切れに言った。
「ああ、ヨカナーン、迎えに来てくださったんですね。わたしと一緒にいてくださるんですね。わたしを受け入れてくださるんですね。あなたは、わたしが心をひらいたはじめてのひとでした。あなたとともにいられるのなら、名誉ある身分も地位も、はなやかな生活もいらないのです……」
 なんと瑞樹は、突然の闖入者の知世をヨカナーンに見立てたのである。せりふと演技まで、即興でやってのけたのである。
 いったいこのアドリブは、誰の心から発したものなのだろうか。
 真情の吐露か、出演者の。
 それとも代弁か、脚本家の。
 玲がそこまで考えをめぐらせるのと、会場が万雷の拍手喝采で包まれるのが同時だった。
 幕が下り、ふたたび上がる。鳴りやまないどころか、さらに大きくなった。
 賞賛と拍手とライトを浴びて、瑞樹と知世が立っている。瑞樹はふかぶかと一礼するが、知世はいきなり自分が出演者になってしまったことにぼんやりしたまま、すっとぼけた顔で、ひたすら眼ををぱちくりしている。
 あほうめ。
 玲は、舞台の袖をあとにした。一段落したら知世は玲のもとに来て、「お前のおかげだ、ありがとう」などと謝辞を述べるだろう。
 当然だ。成功したのは、この春日玲のおかげなのだから。
 当然のことばを聞くために、ぼやぼや待つのはばかばかしい。
 目的は達することができた。本当に、もう、終わってしまった。玲の十年間は、今この瞬間のためにあったようなものだ。
 さてこれから、どうしようか。
 森川知世と、彼をとりまく人びとにつきあう理由は完全になくなった。
 退屈しのぎというのであれば、父のもとに戻るのがいちばんなのだろう。なぜなら、将来の目標も、かなえたい望みも、ここにいる意義もいっぺんに消えてしまったからだ。
 ……いや待て。
 玲に下僕のように扱われている知世から離れることも、自分のもとに呼び寄せたいと熱望している父に身を寄せることも、相手をいたくよろこばせるだけじゃないか。
 冗談じゃない。この春日玲さまは、そんなに甘くもお人よしでもないのである……。

20050428
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