ふるふる図書館


第三部

第一話 千客万来の人気者



 昼休みの教室は、かまびすしいことこのうえない。
 麻雀やウノに打ち興じている者。ふざけてこづきあいをする者。英語の教科書を前に、ぶつぶつ構文をつぶやく者。帰りにどこの店に寄るか討論する者。滋養強壮ドリンクの一気飲み対決をする者。
 廊下からのぞきこんでいたふたりは、窓際に目指す人物の姿を発見した。
 五月のさわやかな風に髪をそよがせ、級友と談笑している。
「三年五組の森川知世(もりかわともよ)。いたぞ」
「ひゅう、さすが桜花(おうか)高校のプリンセス、男子校の眼福。やっほう、役得役得」
 よろこびいさんで雀躍すると、相方からするどい叱咤がとんできた。
「田浦(たうら)。私情をまじえるな。仕事だぞ」
「はいはい、わかってますよん。かたいこと言いっこなしなし。そんじゃ、ぼちぼちいきますか」
 手近な生徒に、森川知世を呼んでくれるように頼むと、ほどなく、本人がてくてく歩いて廊下にやってきた。
「おれに何か?」
 さらっと髪をゆらして小首をかしげる角度が、媚にならない絶妙さ。これを無意識にやれるのなら、大概魔性じゃないかしらん。
「呼び立てしてすみません。新聞部の者です。おれは二年の西条要(さいじょうかなめ)、こっちは同じく二年の田浦悠里(ゆうり)です。
 実は、記事をのせてほしい人物のアンケートをとったところ、栄えある一位にかがやいたのが森川先輩だったんです。ぜひ承諾を得たいと思いまして」
「どうしておれが?」
 知世は眼をくりくりさせた。表情しぐさが幼く、立ち居ふるまいがあどけない。こんな男子高校生がいてよいものだろうか。ほかに存在するだろうか、いやするまい(反語)。
「はい、寄せられたコメントはですね」
 要は、手帳をぱらぱら繰った。この朴念仁め、と悠里はひそかに悪態をつく。いっそぶっきらぼうなまでに、ビジネスライクな態度だ。淡白に読み上げた。
「秀才になれる秘訣を教えてほしい。うわさでは演劇同好会なるものを運営しているそうなので、そこのところを知りたい。交友関係が濃いのが気になる。若い女と暮らしているというのは本当か。髪の色は生まれつきなのか染めているのか。女装が似合いそうなのでぜひさせたい。隠し撮りした写真が出まわっているが、知っているのか。おれの■■を■■してほしい……」
「ちょっとちょっと、要ちん。言いすぎだよ」
 悠里はあわてて要の袖をひいた。伏字が多用されるにおよんで、知世の顔色が急速に悪化したからである。
「い、いや、だいじょうぶ。気にしないで」
 知世は片手でこめかみあたりを押さえて、もう片方の手をひらひら振った。だが口もとはひきつってるし、足もとはよろめいてるし。
 とっさに悠里は、知世の体を支えようとした。
「平気だってば。女の子じゃないんだから」
 悠里の腕を押しもどす。笑みをうかべてはいるが、表情に覇気と生気がない。
「で? おれはいつ取材を受ければいいのかな?」
「そうですね。今は時間もないですし、放課後に改めて伺いたいんですが。時間はあいてますか?」
「演劇同好会の活動を予定しているんだけど」
「お時間はとらせませんよ。そうですね、十五分から二十分くらいで終わらせますから」
 要が平生となんら変わらぬ口調でアポイントを取り、ふたりは二年生の教室棟にひきあげた。

 放課後、悠里と要はふたたび三年五組の教室を訪れた。
「へーえ。取材ですか。新聞部のそういう企画、はじめてですよね。どういうことを聞かれるのかな」
 上級生の教室だというのに、遠慮会釈なくいすわっている二年生。滝沢季耶(たきざわときや)だ。その豪胆あるいは鈍感ぶりに、悠里はなかばあきれ、なかば感嘆して声をかけた。
「ときやん、来てたんだね」
「あれ。滝沢君、友達なんだ」
「ゆーりんは、幼なじみなので」
 季耶が、知世の問いに答える。
 知世のそばに一年生がひとり座っていた。尋常ならざる美貌と無口と無表情を誇ると評判の、飛鳥瑞樹(あすかみずき)だ。
 それから、やや離れたところにいる生徒に気づき、悠里は「ひゃっ」と肩をすくめた。
 三年生の春日玲(かすがれい)が、机の上に長い脚を組んで腰かけていた。周囲に妙にひとけがないと思ったら、冷血漢をもって鳴る彼のおかげであったか。なるほど。
 和菓子の「桔梗屋」名物、ジャンボどらやきをかじっている。あんは王道、大納言だ。本来ならば、きわめてだらしのない格好だが、実に優美で、さまになっている。
 ううん。たしかに、交友関係が濃いというのも、むべなるかな。
 といった状況下で、インタビューをはじめたのだったが。
 これから起こる悲劇の幕開けになるとは、悠里はまったく予想だにしていなかった。

「森川先輩は、地元出身ではないんですね。どうしてまた、桜花に進学しようと思ったのですか?」
 要の質問に、知世はまつげを伏せ、逡巡するような表情をつくった。
「近所には、共学しかなかったから」
「と言いますと」
 うながされ、決然と視線を上げた。指を組みあわせた両手に力がこもり、頬が紅潮し、みひらいた眼もきらきらしている。
「何がなんでも入りたかったんだ、男子校に」
 悠里の腰が砕けかけた。
 う、うひゃー。そんな表情でそんなこと言っちゃあ。自分に都合よく解釈(もとい、妄想)する輩があとを絶ちませんって。なんなんだ、童顔に不必要なこのお色気は?
 要が恬淡と問いをつづける。
「では、うちじゃなくてもよかったと? なぜそこまで男子校に思い入れが?」
「え? ちょっと待ってくださいよ、森川先輩」
 季耶が口をはさもうとしたが、知世は色素の淡い大きな瞳でぎろっと一瞥、黙らせた。要に目線を戻す。
「男らしさを磨くためには、男子ばかりの環境に身を置くことが必要だと考えて、桜花を選んだんだ」
 いやいや、あなたの場合はまるっきりの逆効果なんですってば。
「なんでまた、そんなことでっちあげるんですかー? 先輩らしくないですよう」
 季耶が頓狂声で抗議する。どうやら知世が、昼休みでのことを根に持っているのは疑いない。ほら見てみろお前のせいだぞ。悠里は鼻の頭にしわを寄せ、要に向かって舌を出す。
「熱でもあるんですか? どこか壊れちゃったのかな? それとも錯乱、とうとうご乱心?」
 失礼千万なことを口走りつつ、季耶が本気でうろたえる。
「悪かったな、正気だよ。こんななりでも、今に男らしくなってやるからっ」
「どうしたの? 楽しそうね」
 突如、にこにこと口をはさんできたのは、すこぶるつきの可愛らしい若い女性だ。どことなく、知世に似た面相と風采。
 しかしなぜ男子校に? こんな教員はいないはずだが。
 派手な音をとどろかせ、椅子もろとも豪快にひっくり返ったのは知世だった。
「うわあ、びっくりした。どうしてここに?」
「あらあら、鳩が豆鉄砲でも食らったみたいな顔して」
 彼女はしゃがみこんで、知世のおでこをちょんとつついた。
「人手が足りないというから『ハーツイーズ』でお手伝いをしていたの。学校から注文があって、出前に来た帰りよ。それでお話のつづきは?」
 季耶がここぞとばかりに言いつのった。
「それがね、聞いてください。先輩ったら男らしくなりたいらしいです。いいんですか。頭角刈り、筋肉むきむき、汗のにおいぷんぷんですよ。ふんどししめて滝にうたれて、挨拶は『おす』ですよ。懐にどすをのんで、敵陣に殴りこみですよ。義理と人情、仁侠映画を地でいくんですよ。えーん、想像したくないよう」
 誰もそこまで言っとらん。
「あららら。それもまたおもしろいかも」
「後生だから、事実をありのままに述べてくださいよ。意地はらないで。森川先輩は、やさしく素直でいいひとだって、おれたち信じてるんですから」
 悠里が懇願した。知世はよけいに気に障ったものか、唇のとんがり具合が、ひよこからあひるになった(当社比)。
「知世ちゃんたら、もてもてね」
 彼女が陽気にからから笑った。
「えっそれは禁句でしょう。男らしくなりたいっていうひとに向かって」
 季耶が悠里の胸のうちを、的確に代弁した。
「あら季耶君。男が惚れる男って、ポイント高いわよ」
「うーん、微妙に違うような」
「あのね」
 知世が吐息まじりに口を入れた。
「おれが男らしくなりたいのが、そんなにおかしいの?」
「おかしいです」
 間髪いれず、悠里はすっぱりきっぱり断言してのけた。椅子を倒して立ち上がる。
「そんなに体毛が薄くてものごしがやわらかくて繊細な顔つき体つきをしている男子高校生なんて、そうそういるものじゃあありません。おれたちの夢と希望を打ち砕く気ですか。いいですか、ここは男子校なんですよっ」
「ううー。おおげさな」
 悠里がふるう熱弁に気圧され、進退きわまった知世に、彼女が助け舟を出した。
「だいじょうぶよ、知世ちゃん。あなたは、もう男の子らしくなったわ。だって最近は、ぬいぐるみを抱いて寝なくなったじゃないの。それにスカートやドレスやリボンや化粧品にも興味を持たなくなったし……」
「うわあ。ななな何言い出すんだよう」
 知世は首まで赤くなり、彼女を全身でさえぎった。
「あら、どうかして?」
 彼女は不動の落ち着きで、にっこりおっとり笑みをたたえた。
「ひどいよ。この若づくりの少女趣味っ」
「何よお。それはお互いさまでしょう」
 このひとことで勝負あり。あえなくへこまされた知世は、「うわーん」と季耶に泣きついた。
「要ちん。さっきのこと、記事にするわけ?」
 悠里がたずねると、要は手帳をぱたんと閉じた。
「男らしくなりたい云々についてか? まごころこもった剃刀同封抗議の手紙をもらいたければそうするんだな。ま、新聞部が廃止に追いこまれるようなリスクを、おれはおかしたくないけど」
 悠里は我が意を得たりと、力強くうなずいて相棒に賛同の意を示した。
「そうだよな。生徒会長の逆鱗に触れたら、部の存続があやうい」
 食べ終わったどらやきの包み紙をごみ箱に放り投げ、玲がひとりごちる。
「愚かすぎる。つきあいきれん」
 瑞樹は待ちくたびれたのか、退屈そうに台本を読んでいた……。

20040621
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