ふるふる図書館


第九話



 風邪が治ったばかりの僕が。使い走りを命じられて。購買部まで出向いて。長蛇の列に並んで。せっかく買ってきたというのに。
「肉まんがひとつ足りない」
 頭ごなしに怒るのが彼だ。
「お金が足りなくなったんだ。いいよ僕のをあげるから食べて」
「自分のがなくなるじゃないか」
「僕は別に、食べなくても」
「貴様の肉まんなんかもらいたくない。お金は出すから無駄口たたいてないでさっさと買って来い」
「あんまんとピザまんが冷めちゃうよ。せっかくできたてなのに」
 こんなとき、僕が戻るまで彼は絶対におやつに手をつけないのだ。ひとりでおやつを食べることなどない。僕の帰りをじっと待つのだ。一緒に食べながら、貴様が遅いせいで云々と、延々いやみを言っては僕をいたぶるのだ。
「だからとっとと行けばいいだろ」
 さすがの僕もむすっとした。
「なんだよ、ありがとうもねぎらいの言葉もなしでこき使ってばかり! そういうところが嫌なんだ!」
 彼は眉をひそめて、僕の顔をまじまじと眺めた。
「嫌、だって?」
「そう、だよっ」
「目をあけたまま寝言を言うとは芸達者だな。僕のことを毎朝起こすし、僕に毎日奉仕しているし、僕の言うことなんでも聞くくせに。そんなわけないだろう」
 心外そのものだったのか、おどろきが存分にこもった台詞を聞くや、僕はへなへな脱力してしまった。
 こんなに日夜、彼に対する僕の気持ちを態度と顔と口調で精いっぱい訴えていた僕の努力はなんだったんだ。むなしい。
 僕のことを朴念仁だなんだと常日ごろさんざん罵っておいて、鈍感なのはどっちだよ。一体全体どうしたらそんなに前向きでポジティブなドリーマーでいられるんだよ。早く気づけよ。
 僕はとっくに知っていたのに。彼の気持ちを。
 そうだよ、僕はわかっている。彼のことを。きっとこの学校でいちばん理解しているのは僕だ。
 誰もが認める折り目正しい優等生なのに、だらしがなくて面倒くさがりで。
 勉強も運動も生徒会活動も人付き合いも手際よくそつなくこなすくせに、とてつもなく不器用で。
 看病ひとつとっても、もっと親身になって優しげにしてくれれば僕だってほんのわずかでもほだされた可能性がないとは言えないのに。
 そんなこともできないで。
 とんでもなく照れ屋で。
 僕の迷惑かえりみず、暴力ばかりふるって。
 過激で過剰な親愛の表出でいつも僕を困らせて。
 無体な愛情表現しかできなくて。
 天使みたいな顔をしているのにプライドがじゃまをして、正面切って可愛さをアピールすることもできないで。
 想いをはっきり言葉に出すこともできないで。
 みんなに憧れられているのに、肝心の僕からはちっとも振り向かれなくて。
 なんで。なんで僕なんだよ。僕を選んだんだよ。

 翌日は休日。
 彼のことはゆっくり寝かせておこう。読みかけの本があるし、家族に手紙を書きたいし。たまには自分ひとりのために使える時間がほしい。
 いつもと同じく早起きして、トイレと洗面をすませた。そばに寄って彼のようすを確認すれば、体をまるめてぐっすり眠りこけている。枕に広がった髪が、白い顔をふちどり浮き上がらせている。
 唇が動いて、僕を呼んだ。寝ぼけた、甘ったるい声で。
「ねえ。ここにいて……。いかないで」
 ふとんから出た手が空中をさまよって、僕のパジャマの袖をぎゅっとつかんだ。すがりつくように。
「ごめん、なさい……」
 僕がそんな言い方したら「何がだ」なんて厳しく聞くくせに。
 だけど僕は問い返さない。ぴったり閉じ合わされた長いまつげをにじませて、おもしろいくらい後から後からすきとおったしずくがぽろぽろこぼれてくるのを見たら、なおさら。
「ほら泣きやんで」
 僕は指先で、彼の涙をぬぐった。
「自慢の美貌が、だいなしでしょ」
 目許を赤く腫らしたところも、きっと可愛いんだろう。客観的に判断して。でも、僕と何かあったなんてみんなに思われたら厄介だ。
「離してよ」
 びくりとしたように手の力が緩まって、僕の袖から弱々しく落ちた。
「僕は病み上がりだよ。寒いんだ。また風邪をひいてほしいの? 向こうに行って」
 彼はもぞもぞと動いて、素直に僕に背中を向けた。僕は上掛けをはぐって、空いた隙間にもぐりこんだ。
「な、んで……?」
 くぐもった小さな問いかけ。
「寒いって、言ったでしょう」
 彼は再びこちらに寝返りを打って、甘えるしぐさで僕の胸に額をこすりつけた。
「そしがや……」
 とろんとしたためいきまじりに僕の名前をつぶやいて、ほどなく、安らかな寝息を立て始めた。
 ああ、これも計算なんだろうか。演技なんだろうか。策略なんだろうか。作戦なんだろうか。それとも自然なんだろうか。僕は彼の思う壺なんじゃないのだろうか。あーあ、こんなにやすやすはまってしまうなんて。みすみす自分から落ちてしまうなんて。罠に決まっているのに。
 乱れたやわらかな髪がふわふわとあごにあたって、くすぐったい。そっとてのひらでなでつけた。感触がここちよくて、何度も手を彼の頭にすべらせた。
 彼の寝具はあたたかで、いいにおいがして、僕までうとうとまどろみそうになる。
 この体勢で目をさましたら、きっとまた僕をこっぴどく殴るんだろうな。その光景がまざまざと頭に浮かぶ。
 それでも、彼が起きるまで、今日はこのままでいよう。
 本も手紙も後にしよう。
 それから、寮の部屋の変更願いの届書を捨てるのも。

20090110
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