ふるふる図書館


第一章 小日向克己 1



 マスメディアにおける、これでもかこれでもかと言わんばかりの恋愛至上主義の氾濫。嫌がらせとしか思えん。
 たいしてうまくもない歌手やら、あんたになんでお説教されなきゃならんのだと言いたくなるような作家やらが日々こうるさくさえずっている。
 やれ恋はすばらしいだの、恋をすれば人は成長するだの。
 嘘をつけ。
 恋愛なんて煩悩以外のなにものでもない。
 周囲の人間に優先順位をつけ、恋人のほかは傷つけてまわってかまわないと無意識に考えてる輩、好きな人には自分のことだけ考えていてくれなきゃやだ、などと不遜にも思いこんだ挙句に他人を修羅場に巻きこんで大騒ぎする輩がどれだけいると思ってるんだ。まったく、はた迷惑にもほどがある。
 自分の彼女が僕のほうに見とれたからって、心変わりを僕のせいにするんじゃない。そりゃあ確かに僕は容姿端麗だが。友人の彼女にちょっかいかけるほど飢えちゃいないんだよ。いやむしろ、一方的にちょっかい出されてるのはこちらの方だ。
 それに、恋人は所有物でも奴隷でもないぞ。一個の人間をなぜそこまで束縛できるんだ? ほかの異性を見るだけでも罪なのか? そういう契約書を交わしてでもいるわけか?
 独占欲、嫉妬心、これが恋愛の正体だ。ああ醜い、浅ましい。成長するどころかますます幼稚になっているだろうが。それを、あたかも美徳であるかのように飾り立てやがって。どいつもこいつも。
 だいたいおかしいじゃないか。それまで普通に接してこれたのに、いざ恋人どうしになるとけんかやいさかいが後をたたなくなるなんて。恋人になればエゴを丸出しにしてかまわないと勘違いしている、それが何よりの証拠だ。
 そんなのにわずらわされるなんてまっぴらごめんだ。まったく、恋愛にかまけるなんて愚の骨頂だ。
 一人の人に愛されている、と思いたいのは、自分の存在意義を確認したいため。一人の人に必要とされている、と感じたいのは、自分の価値を確認したいため。だから、僕にはまったく不要だ。そんなことせずとも、僕は僕。小日向克己(こひなたかつみ)以外の何者でもない。他者によってしかアイデンティティーを認識できないなんて、まったくもって弱すぎる。
 だがしかし、恋人がいないと、世間さまは余計な勘ぐりをなさるわけだ。
 性格に問題があるんじゃないかとか、顔が悪いからだとか、頭が悪いからだとか、さも欠陥人間扱いだ。
 冗談じゃない。僕は賢いから、面倒かつくだらないことに貴重な時間を割くのが惜しいのだ。順風満帆、平穏無事な日々を過ごしたいのだ。
 とはいえ、世間さまに前述のような説明を繰り返したところで、受け入れてもらえないだろう。時間と労力の無駄だけならまだしも、負け犬の遠吠えだと失笑されかねない。才色兼備をもって鳴る僕には、耐え難い屈辱だ。
 そんなわけで、僕はありとあらゆることにたゆまず励んだ。持って生まれたこの美貌を最大限に生かせるようセンスを磨き、素直で真面目で愛想がよいという評判を取るための努力を惜しまなかった。有名進学校にも有名大学にも、すんなり危なげなく合格。
 自分で言うのも気がひけるが、子どもの頃から僕は女にほうっておかれたためしがない。僕はとびきりの外交スマイルと、洗練された社交辞令で誰も傷つかないように、あざやかにかわし、やんわり断る。
「うーん。やっぱりショックだけど、小日向君だからふられてもしょうがないか」
 女の子の誰もが納得してくれる。ひとえに僕の人徳がなせるわざである。
 八方美人? かっこつけてるいやなやつ? ふふん、何とでも言うがいい。みんなが気分を害さないようにはからっているのがわからないのか、感情のおもむくままの言動でまわりを不幸にしている愚か者ども。
「得だよな、小日向は。恨まれなくってさ」
 ねちっこく、とぼけたことをのたまう間抜けもいる。戯言も休み休みほざけってんだ。一日たりとも休まず続けた自己鍛錬のたまものなんだ。ぽかっとのんきに大口あけて、このキャラを獲得できたわけじゃないんだ、いやみを考えるなら、ちっとはなけなしの知性を使ってみろ。センスのない誹謗中傷は耳が汚れるんだ。
 むろん僕は、相手よりはるかに大人だから、品よく優雅に微笑を浮かべる。
「僕とつきあってもあまり楽しくないよ、って忠告してあげただけだよ。僕って趣味も特にないからね。それより、きみのほうがよほど個性があっていいと思うな」
 この手の台詞は、真顔で言うのが重要ポイントだ。くさくて悶絶ものだとお思いになる向きもあろうが、けっこうな威力を発揮してくれる。
 さらに、真摯なまなざしでじっと見つめるのも忘れてはいけない。まあこれは顔の資質にもよるので、初心者は鏡とじっくり相談すべきだろう。
 僕にこれをやられて、悪い気がする人間はいないらしい。
「そ、そうか?」
「そうだよ!」
 力強くうなずき、僕は相手の欠点をたくみに美点にすりかえて懇切丁寧に説明してやる。相手は表面上不機嫌そうな顔をしてみせるが、内心ご満悦なのだ。あてこすりとも気づかずに。
 はっはっはあだ。ああおかしい。笑いをこらえるあまり腹筋がぷるぷる震える。勘弁してくれ、腹が痛い。こいつは僕を殺す気なんじゃないかと本気で疑りたくなったものだ。
 そんな学生生活を送ったのち、僕は新卒で一流企業に就職した。今年、三年目を迎える。
 二十四歳の春である。

 僕の勤務先は、高級食品を輸出入する貿易商社だ。不景気と言われて久しいこのご時世でも、着実に利益をのばしている。営業第一課に籍を置く僕の実力あってこそだ。
 先ほどから自慢ばかりしているようで忸怩たるものがあるのだが、事実なので致し方ない。
 顧客とフランス語での会話を終え、僕が電話を切ると、隣席の女の子が感に堪えないさまで話しかけてきた。
「すごおい、小日向さん。フランス語も話せるんですかあ?」
 彼女は白石佳奈子(しらいしかなこ)という。派遣社員として、ここで貿易事務の仕事を始めてから、まだ間もない。
「いや、それほどでもないよ。ほんの少しかじった程度だし」
「でもっ、英語も中国語もできるじゃないですか!」
 僕がさらりと軽く流すと、やっきになって言い募る。むきになっているその顔が、けっこう可愛らしい。客観的に判定しても。
 年齢は、僕より一つ年下だとか。可愛らしいのはけっこうなことだ。どうせ仕事ができないのなら、せめて性格か顔で相殺していただきたい。
 要するに白石佳奈子は、遅刻はするわ、社会人経験もろくすっぽないわ、礼儀知らずで敬語も使えないわの困ったちゃんなのだった。
 初対面で、僕に向かってタメグチきいて、挙句の果てにこの僕を、「小日向君」と呼びやがった。どういう神経してやがんだこの女。
 僕は二人きりになったとき、にっこりいなした。
「白石さん、ここは職場なんだから、いつまでも学生時代の気分でいてはいけないよ。ことさら目上だという態度を取るつもりはないけれど、僕を含め社内の人間のことはさんづけで呼ぶようにね」
 彼女は、パール入りシャドウに囲まれた目を大きく見開いた。ついでにピンクのグロスで異様につやつや濡れて光ってる唇も。
 その表情でぴんときた。ははん、こいつ、男にちやほやされてばかりで、少しもきつい言葉を投げつけられたことがないんだ。ああうざったいな。
 ほらほら泣くと落ちるぞ、まばたきするにも重くて苦労しそうなくらい、まつげに塗りたくってひじきみたいになってるマスカラが。うるうる涙をためての上目遣いなど、この僕に通用するかっての。甘く見てもらっては困る。そんじょそこらの、目のかわりに節穴くっつけてる男どもと一緒にするな。
 すっぴんは別人だな、こりゃ。絶対化粧テクと服装と髪型で男をあざむいてるだろ。
 僕はことさら穏やかな笑顔を深め、ひたむきな口調でこんこんと諭した。
「白石さんが充分スキルアップして、よその職場に移ったときを考えてごらん。白石さんがどんなに実力を持っていても、そういうちょっとした些細なことで周囲に誤解されてしまうかも知れない。それを僕は心配しているんだよ。僕の言うこと、間違ってる?」
 間違っているはずがない。僕の主張は常に正論だ。
 しばしの沈黙の後、彼女が言った。
「わかりました」
 ……勝った。
 相手の自尊心をどこまで刺激するか、その匙かげんがみそなのだ。
 白石佳奈子は、それ以来僕をさんづけで呼ぶ。敬語も使う。改心したことはおおいに喜ばしい。だが。
 思いっきり勘違いしているのだ。小日向さんはそこまであたしのことを考えてくれてるんだわという。ま、日常のありふれたひとこまだが。
 そうでも考えないと、プライドの高い自分にしめしがつかないのだろう。温和で親切と評判の高い僕にいきなりお叱りを受けたとあっては。自我を守るための方便を兼ねてるってわけ。
 僕にお熱を上げている人間をあしらうのは、実にたやすい。お茶の子さいさい、朝飯前だ。いやしいことをほんのちょっとでも考えた自分が恥ずかしい、穴がないなら掘ってでも入りたいっ、と相手に思わせるくらいの清廉潔白な態度に出るのが僕の必殺技だから。
 だいたい、おつむの弱い女ははなから対象外。
 お互い遊びと割り切れるような女としか、僕はつきあう気になれない。駆け引きを、頭を使った知的なゲームとみなせる女だ。インモラルなどとはとんでもない。お互い納得して安全に楽しんでいるのだから、問題など一ピコミクロンもあるわけない。これでいいのだ。
 そんなわけで、僕は女性経験は人並み程度につんでいるので、ご心配は無用に願いたい。
 問題なのは、僕の相手がつとまるような女性が、そうそういないということだ。顔や体は二の次だ、いい素質がいくらでも見つかる。しかし頭が伴っていないとさっぱり面白くない。そちらはおいそれと見つからないのだ。
 いたって健康な若い男子なら、もっとがつがつしていてしかるべきじゃなかろうか。成熟しすぎてやしないか、僕は? すでに枯れているのか?
 否、悟りをひらいてしまったのだろう。
 煩悩を捨ててこそ、苦しみが消え、心乱されない和やかな生活を送れるのだ。大晦日に、僕は鐘を百八つもつく必要はないのだ。くだらんことにうつつを抜かして執着する庶民どもも見習ったがいい。
 二十四年間かかって築き上げたこの不動たる平和な生活を、手放す気は毛頭なかった。

20050524
NEXT

↑ PAGE TOP