ふるふる図書館


おかわり11 キープ・ア・シークレット




 木下さんの家の近所の公園で祭りをやっていることを知り、ふたりで出かけた。夜の闇をかき消すようにオレンジ色の明かりが灯り、出店が並び、食べものの香りが漂い、音楽に合わせて盆踊りがあり、子どもからおとなまで大勢の人が集まっている。
 綿菓子を持って走る子どもたちが俺にぶつかりそうになった。そちらに気を取られているうちに、人混みをすいすいと歩いていく木下さんと距離があいてしまう。
 追いかけようとしたら、木下さんがひょいひょいと戻ってきて、あろうことか俺と手をつないだので、俺はあわてた。
「ええっこんな、人たくさんいるし、その、ちょっと」
 振りほどきもできないまま、もそもそと小声を出すと、「誰も気にしてないよ?」と俺の抗議をけろっと封じてそのまま歩き出してしまった。なにごともないように話し出す。
「なにか食お? 俺、たこやきがいーなー。お前は?」
「あ、俺も……」
 こたえると「じゃ、並んでくるね」と手を離された。ああびっくりした。ここ数年でつないだことなかったはずだ。あまつさえ、外でなんて。さすが木下さん、俺にできないことを平然とやってのける……。そこにしびれもあこがれもしないけどっ。ああもう、しないったら!
 公園の縁石に並んで座って、買ってきてもらったあつあつのたこやきをはふはふとほおばっていると、「お前と祭りに来たの、二回目かー」と木下さんが言う。まだ口にたこやきが入っているから、取り急ぎ何度もこくこくうなずく。
「ほう、れふね、はひねん、まへ、れふ」
 そうですね、八年前です。と、こたえたかったのに、涙目になるレベルでたこやきが熱すぎてうまくいかない。並ぶ提灯の幻想的な暖色の光に染められた木下さんの顔がゆるんだ。
「ふふ、可愛いなーコーキは」
「なんですか。俺だって二十八ですよアラサーですよオトナですよ? それに、十年以上も前から俺のこと見てんだから、今さらそんなの感じないはずですっ」
 フルスピードでもぐもぐ咀嚼して飲みこんで、抗弁した。
「だからなにさ。わんこだってにゃんこだって、年取ったってすごく可愛いじゃん。ずっと一緒にいたって、見飽きるとか見慣れるとかないじゃん、いつまでも可愛いじゃん」
 なにこの返り討ち。
「ちょ、俺は犬ですか猫ですかペットですか!」
「似たようなもんじゃん」
「似てません!」
「なにもしなくても、そこにいるだけでいいってこと。存在してくれてればもう充分ってこと。食べものあげたり世話焼いたりするのがうれしいってこと。見返りいらないってこと。ほらー、同じじゃん!」
 なにをドヤ顔でかましてんだこのオッサン! 恥ずかしいから! やめろ! そんなきれいな色の目で俺を見つめんな! この人のささいなことで一喜一憂していた時代が思い出されて、八年前の祭りの夜と今が重なって、いたたまれない。
 俺は、あわててうつむいて、たこやきをもうひとつ口に放りこんで
「げほっ、げほげほ」
 見事にむせた。木下さんが背中をさすってくれたが、顔を真っ赤にして咳きこむことしかできない。そばにあった缶をつかんで、くいと呷った。って、木下さんのビールじゃねーか! お約束すぎぃ!
 誤嚥で苦しいよりはまし、だけど……。あ、だめだ視界がくらりと揺れる。体もふらりと揺れる。ぽすんと木下さんの肩によりかかると、頭を撫でられた。
「だいじょぶか?」
「うん……、ごめん、なさい」
「謝ることねーよ」
「うう。だってえー。せっかく、ふたりで、まつりにきた、のにー」
「また来りゃいいからさ。今日は帰ろ」
「ううー。もう、かえるのー? まだきのしたさん、たこやき、たべてない」
「そんなんなっちゃってるコーキ君を誰にも見せたくないから帰るの。俺のためなの。たこやきは持って帰るから」
「みっとも、ないですよね……。すみません」
「自己認知がきちんとできてないのも、変わんないのな」

 木下家のベッドにころんと転がされた。口をあけるように言われて従ったら、さらさらと顆粒のサプリを流しこまれた。アミノ酸配合で、酔いの不快症状を抑えるのだそうだ。なんで、お酒に強い木下さんがそんなの持ってんだろ?
 水なしでも飲めるらしいのに、俺は軽くむせた。木下さんがコップを口にあてがってくれたけど、頭がぼうっとして端からこぼしてしまう。口角からたらたらと垂れるしずくをティッシュで拭いてくれる木下さんの唇をつんつんつついて、自分の口もとんとん触って、「くちうつし、して?」とお願いした。
 柔らかい感触に口をふさがれて、わずかにあたたまった水がのどにするっと滑っていく。気持ちいい。
「ん。おいしー。えへへ。もっとぉ」
「ミネラルウォーター、今のでなくなったけど、水道水でいい?」
「じゃあー、みずなしでいーから。もっとちょーだい?」
「ふふふ。なに、甘えたモードなの?」
「ちっ、がーあーう。そーやって、まだこどもあつかいしてー。おれもおとななんです。きのしたさんを、めろっめろのとろっとろにしちゃいますうー」
 真面目に言ってるのに、木下さんが吹いた。
「もー。ほんとですよ? めろんめろんの、とろんとろん、ですぅっ」
 木下さんは笑いをやめない。なのに、俺の耳に落とした「それじゃあ、やってみて?」というささやきが、酔いを増幅させるような甘ったるい低音ボイスで、ずるいと思った。

 どうしていつも目をつぶるんですかと尋ねたら、浅い吐息まじりで返事がきた。
「よく、見てるな……。そうだなあ、閉じてるほうが、感覚に、集中できるから……?」
 舌足らずで呂律が回ってないのは、酔いが抜け始めた俺ではなくて、木下さんのほうだった。
「ほかの人とするときも、そうやって、つぶってるんですか?」
「現在形かよ。……昔のことなのに」
「顔が見えなかったら、これ、俺じゃない人としている感じ、しません?」
「しないよ、ばか」
「じゃあ、俺じゃない人としているときのと、比べてたり、しません?」
「しないっての」
「歌にあるでしょ、バービーボーイズの。顔はあいつと違うから目を閉じてっていうの」
「過去なんか……、おぼえてないし、思い出さない……」
 常にのほほんとした笑顔を崩さない顔が、苦しげに眉根を寄せて喘いでいる。ときどき震えながら、いやいやをするように首を振る。折檻されてる子供みたい。なんでそんないじらしくてしおらしいの。普段とギャップの激しいその姿を、俺以外の誰に見せたの。何人に見せたの。そう、悪い子にはおしおきしないと。
「だーめ。ねえ、目を開けて、俺を見て。ほら」
 促すと、ゆっくりまぶたが動いた。瞳が揺れて、潤んでいる。
「俊介さんと今、こんなことしてるの、誰? 言って」
 さらにねだったら、唇がおずおずと小さく動いて俺の名前を紡いだ。
「そのまま、もっと、呼んで。ずっと、俺の顔、見たまま、呼んで」
 木下さんはほっぺたを染めて「ばか」とつぶやいたけど、俺のわがままをきいてくれた。

 ぱち、と目を開けると、カーテン越しに朝日が入ってきていてまぶしかった。木下さんの家だ。昨夜、間違えてビールを飲んで酔っ払ったところまでは記憶にあるが、そのあとどうしたんだったか。木下さんに借りたとおぼしき寝間着用Tシャツを着ているが、風呂には入っていないようだ。
 テレビを見ていた木下さんがいつもどおりに挨拶してくれたけど、きっとまた迷惑かけたはずだから「すみませんでした」と謝った。
「んー。どの件に関すること?」
「えっ。そんなにいろいろやっちゃいましたか」
「うん。いろいろやっちゃいましたねー。って言いたいところだけど、なにもなかったよ。な、ん、に、も、ねー。ただここに連れ帰ってきて寝かせただけ」
「寝かせただけ、じゃないですよ……。かなり大変じゃなかったですか。それに、よくおぼえてないけど、俺なんか駄々こねてませんでした?」
「うん。ちょっとだけね。安心したのかそのままスヤァだったよ」
「うう。面目次第もございません」
 まるっきり子供じゃねーか。恥ずかしくて視線を伏せると、ベッドに座っている俺に並んで腰かけた。俺の体に腕を回して、一緒にゆっくり倒れこむ。
「素面のときも、俺にちゃんと駄々こねてよ。大人ぶって、本音隠して、ヤキモチ焼いてないふりしなくていいから」
 俺がヤキモチ? いったいなにやらかしたんだよ俺は。
「めろんめろんの、とろんとろん」
 謎ワードをささやいて、木下さんがくすくす笑った。メロンとトロがどうしたんだ。
「次こそは、俺をそうしてね。公葵」
 わけわかめな要求をする木下さんの目は、俺の顔をしっかり見つめて、光を透かしてきらめいていた。

20160918
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