ふるふる図書館


おかわり8 ヴォイ・ケ・サペーテ



 ※本編とかなり雰囲気やキャラが異なりますのでご注意ください


 部屋に充満している声と音は、九割以上が俺の立てているもの。せっぱつまった、浅く速く荒い息づかい、高くかすれた舌っ足らずな話しぶり、いかにも多そうな水気。それらをいちいち文字に起こしたら、まんま、R指定の漫画や小説だな、とわずか残ってる冷静な部分が埒もないことを考える。
 顔のあらゆる穴から出てくる水分でぐちゃぐちゃになりながら、相手に懇願する。もう焦らさないで、つらい、と。すると相手が条件を出す。
「『好き』って言ってくれたら、許してあげる」
 そんなこと、簡単すぎるから、俺はすぐさま連呼する。若者向けのえろいまんがや小説のえっちなシーンそのものの呂律のまわらない甘ったるいしゃべりかたで。
 何度も何度も、相手が満足するような、心が盛り上がるような、情欲をそそって煽るような、興奮をかきたてるようなことを口にする。好きだの、愛してるだの、どこが気持ちいいだの、はしたなくてあけすけでひわいでやらしい単語だの、のどが絞られて言葉にならない、赤ん坊の喃語や猫の鳴き声めいた音声だの。
 ついでに相手を呼ぼうとして、ふと、なんて名前だったっけ、と思う。きつく寄せた眉の下できつくつむってた目を開けても、黒い影に塗りつぶされて顔が見えない。
 誰だよ。俺は誰とこんなことしてんの。

 俺が女だったら言われんのかな、「よごれてる」とか「けがらわしい」とか。どういうことか、よくわからん。どうせ、数か月もたてば、体を作っている今の細胞はすべて入れ替わるんだから、汚れなんて残んないだろ。
 相手を変えて経験値を稼いだ。レベル上げした。だから、少々アレンジながらの積み重ねによる学習をリピートしてるだけ。慣れてるだけ。あらかた落ち着いて対処できるだけ。
 そ。異常でも珍奇でもない。
 だから、アルバイトで入ってきたこの子は不可解すぎた。なんでおおげさに反応するのか。
 ちょっと触っただけで、大仰なくらいに慌てたり照れたり、顔を真っ赤にしたりそわそわしたりびくびくしたりもじもじしたりぷるぷるしたり、忙しい。
 疲れそうだけど、楽しいかもしれない。本人は否定するだろうけど。
 ほんのわずかまなざしがかすめたくらいでドキドキできるなんて、燃費もコスパもよすぎんだろ。指先がぶつかっただけで、名前を呼ばれただけで、戯れにちゅーしたくらいで、そんなに魂を揺さぶられるとか。感受性、豊かすぎんのかな。
 そういうやつも、この世に存在してんだな。未知との遭遇だ。昨今の少女漫画よりよっぽど奥手だ。俺のまわりにいなかった種の人間だから最初はおもしろくてからかい続けたものの、しばらくたつとさすがに心配になってきた。
 この子は、俺みたいなのに軽い悪戯心でちょっかいかけられたら駄目なんだ。しばらくやめとこ。誰かと付き合えば耐性つくかもしれない。他のやつとも平気になるまで自重しとこう。
 そう考えて、一年、二年。この子の艶聞ひとつ聞こえてきやしなかった。なんでだよ。彼女作れよ。遊んでこいよ。盛ってこいよ。いつまでも初々しくてウブな子供でいるんじゃねーよ。いい子なんだからすぐにでも相手見つかんだろよ。
 俺がおませさんじゃなかったら、この子みたいなキャラだった可能性あるかなあ。いやねーな。出会ってから今までずっとレベル上がんないんだもん。
 俺の名前ひとつ口にするのも、冗談にまぎらわせてるつもりが決然とした必死さがかいま見えたり。さりげなさを装うくせに耳がほんのり染まっていたり。理性がふっとんだときに「やっと呼べた」とでもいうようにほっぺた赤らめて何度も何度も熱に浮かされたみたいに繰り返したり。
 いつまで鮮度のよさをお届けしてんの。俺と知り合ってどんだけたってるかわかってんの。十年だぞ。なんで、いまだに慣れないの。
 でも。
 この子にだったら、これくらい一喜一憂してみたかった。もっともどかしくじたばた身悶えしながら、悩んだりときめいたりしながら、想いを育ててみたかった。ささいなことがいちいち新鮮で、嬉しくて恥ずかしくて切なくて甘酸っぱくて、その瑞々しい感動を一緒に分かち合うことができて。
 なんてさ。
 三十路も半ばになってないものねだりするとか、馬鹿なのかな俺。恋に恋するってこーゆーやつなのかね。あっははっ、似合わねえなあ。
 だから、こいつをいじめたくなるんだ。口を手で覆って、いつもとちがう声が出ないように涙目で耐えて、それでも漏れてしまって、快楽と羞恥と俺にキモがられんじゃないかっていう恐れで震えてる。そんな姿に自分を重ねあわせると、いじめられてるのがこいつなのか自分なのかわからなくなる。その歪みは心地いい。こいつと一体になって、溶け合ったら、再スタートしている気持ちになれるようで。
 うん。俺の、こいつに対する気持ちなんて、そんなもんだけなのかもしれない。結局、大切にしたいのは自分自身だけなんだ。俺に向けてくれる無邪気な微笑みとか、信頼に満ちた瞳とかをかけがえなく感じるのは、自惚れに浸りたいだけ。かもしれない……。

「すまんな、オチのない話で」
「いや、無理にオトす必要ないかと」
 ツッコミを受けて、伏せていた視線を上げた。ベッドの上、俺の隣に横たわる人影。
 あ、顔、見える。
 こいつを誰だか俺は知ってる。
「公葵……」
 ほら、名前だって呼べる。さっきの回想に出てきた相手とは別人なんだ。あの俺は今の俺じゃない。
「はい」
 返事してくれる。やっぱり公葵だ。そう思ったっきり、言葉が後に続かない。不死身の饒舌、へらへらおしゃべり口八丁の木下さんじゃなかったの、俺って。
 汚れは残らないはずなのに、ただれた(なんて表現、後ろに「(笑)」をつけたくなるけど)十代の記憶は、俺に刻みつけられて落ちていかないっぽい。なかったことにできないっぽい。お前に出会って今の関係になることがわかっていたら、あんな人生にしなかったのにな。後悔なんかしないけど、なんともったいないことをしたのかと残念になる。果物のいちばんおいしいところをなんでお前と食えなかったんだろう。なんで取っとかなかったんだろう。ガキのころから天才だの神童だのもてはやされてたけど、人生のトレジャーをまるまるごっそり取りこぼして、そんなのまったく意味ねーよ。
 沈黙をごまかすべく、へらりと笑おうとしたら、相手が先手を打って話し出した。
「木下さんがずるい大人なのは、ずいぶん前から知ってますよ。俺の想像の及ばない不思議キャラだってことも。
 それでも木下さんを選んだんです。今さら引いたりしませんって。今、俺とふたりでこうしていられるってことが大事なんだから。
 ちょっとわがまま言っていいなら、将来も、木下さんの心の片すみにでも俺がいればそれでいいんです」
 穏やかな声と手が、枕に広がる俺の髪を撫でる。なにこのイケメン。誰この男前。戦闘力高すぎて、スカウター壊れるレベル。ほんとにあの、俺がいじめるたびごとに「木下さんを倒す!」てぷんすこしてたあの子なんか、お前? あの子のきぐるみ着た別人じゃねーの、背中にチャックついてんじゃね?
「それでも、昔が気になるなら……。このまま清めの交際を続けます? あ、それよりか、過去にほかの人にされたことと別のやりかたをためしてみます? それで帳消しになるかもですよね。ちがう味つけで木下さんを満足させるように工夫してみます。だから全部、俺に教えて?」
「へっ……」
 馬鹿、なんていうしゅーちプレイ……。それどーゆーことか理解して言ってんの? 仔細漏らさず洗いざらい、事細かに俺に口に出させるつもりかよ? すべてを俺におねだりさせるってことかよ?
「手順の詳細を教示せよ」ていうリクエスト、前にももらったことがある。無知ゆえの直球な質問かと思いきや、まさか、よもや、コトバゼメするつもりじゃねーだろな、オトナのことなーんにも知りませんって顔してるくせに。うわっ想像しちゃったじゃんかっ。
「あ、珍し。赤くなってる」
 驚いたような嬉しそうな口ぶり。
「お前が、あんまり破廉恥なこと言うからだ、わかってないオコサマなくせに、えっちいこと苦手なくせに、ばかっ」
 上掛けを鼻の下までひっぱりあげる。すれちがいの生活を送っている俺たちの久々に一緒に過ごせる時間が、俺の告白タイムと化してしまった。そもそもの始まりは「俺たちはした回数が少なすぎるがそれでいいのか」というこいつからの質問だった。ずっと気になってたふうだ。そこから芋づる式に、俺の過去の素行までインタビューされた。知りたいことがあればどんなことでも聞けと言ったのは俺だったから拒むことはせず、オブラートに味がわからないほど何重にも幾重にも分厚く包んで話したのに、ダメージを受けてるのはこいつじゃなくて俺のほうだった。挙句、七歳下に慰められてる始末。なんぞこれ。
「うん、得意種目じゃないですけど。俊介さんがたまーに、そんなふうに素ですっごく可愛くなっちゃうとき、そんなん関係なくなっちゃうんですよね。自業自得です。身から出た錆です。覚悟してくださいよね」
 横目で盗み見た笑顔が、甘くて、いじわるで、やさしくて、柔らかくて、小悪魔めいて、慈しみに満ちて、からかいを帯びて、きっと俺にしか見せない表情だと思ったら心臓がずきんと痛んだ。ふとんを握る両手に力が入ってしまう。
 こういう俺だって、お前にしか見せてない。いろんなやつといろんなことをしてきたけど、こんな気持ちになったの、お前だけだもん。だからお互いさまだ。おあいこだ。イーブンだ。引き分けだ。
「そんなんしなくていーのっ。お前とするの、ほかの誰とも全然ちがうんだよっ。いいかげん気づけ天然! 鈍感っ」
 元上司ぶって叱り飛ばすつもりが、声と指が震えてしまう。
 胸の奥がきりきり痛むのに、ふわふわ心地いい。じんわりするのに、ぎゅっと苦しい。楽しいのに、疲れる。
 こちとらいい歳なんだから、心の揺れに翻弄されるのくたびれるんだわ。お医者さまでも草津の湯でも回復できない難治性の病が、長引きすぎてる。こじらせすぎてる。
 それでも。
 お前とこんな時間をすごせるなら、ずっと治んなくっていいや。
 自惚れなんて、すでにお前に明け渡してた。俺はもう、お前にノックアウトされてたよ。

20160501
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