ふるふる図書館


おかわり4 ギブ・アンド・ギブ



 食材の買出しの帰り。木下さんとレジ袋を提げて街を歩いていたら、大場さんのご一家にばったり出くわした。木下さんのお友達の大場さんと、奥さんの梢子さんと、娘の沙那ちゃんだ。しばらく見ないうちに、沙那ちゃんはだいぶ大きくなった。幼稚園児だそうだ。挨拶もしっかりしている。
「可愛かったですね、沙那ちゃん」
 ご一家と別れて、木下さんとふたりになったときに感想を漏らした。
「オバケンのやつ、娘大好きだよなー。昔はさんざ『リコンリコン』って騒いでたくせにあれじゃ実現不可能だな。まさに、子はカスガイの甘納豆だよ」
 そのカスガイとちがう。
「ったく、ショウコさんと不仲だって言ってた割に、やることはやってんだもんな」
 やること? って子育て? じゃなくて、子づくりのことか。そう気づいたとたん、俺のほっぺたは勝手にどぱっと熱くなった。二十代も半ばを越えて、思春期の少年みたいな反応やめろよ俺。
 いや、未成年のころはその手の話題にとんと疎かったはずだ。大人になったからこそ、具体的にどういうものなのかわかってしまって居たたまれないんだ。子供を持つ世界中の人々は全員、あんな行動をしているなんて考えると、恥ずかしすぎて誰とも会えない気がする。あーもう、我ながら下世話だなまったく。それとも欲求不満なのかな。そんなことないと思うけど。
「どした?」
 うつむきがちに沈黙を守っている俺の顔を、下からひょこんっと覗きこんでくる木下さん。
「もしかして、子供欲しい?」
「え? ちがいますよ。別に、そーゆう願望はないです」
「ほんとに?」
「ほんとですよ。自分が父親になるとか、想像したことほとんどないです。木下さんこそ、どうなんですか」
「俺はね、自分が子供でいたいの。てへぺろ」
「うわ、うっざ」
 ウインクしながらサムアップして舌を出す木下さんに、俺はいつもの調子で憎まれ口を叩いたけれど、実は気づいちゃったんだ、ほんの一瞬、木下さんの飴色の瞳が揺らいだこと。不安? 罪悪感? この人生を続けたら、俺が子を授かる可能性はいちじるしく低いのは確実だけど、そんなの気にすることないのに。
「子供でいたいなら、晩酌抜きにしましょうか?」
「やーん。いじわるしないでー。神さま仏さまコーキさまー」
 昔は、ニヤニヤ余裕たっぷりにいじってくるのは木下さんのほうだった。俺が激おこでプンスカしながらピーピー喚いてギャンギャン騒いでばかりいたのに、いつからこんな関係になったんだろう。下克上ってヤツだろうか。

 アパートに着いて夕飯の仕込みをしようとしたら「いいじゃんそんなのあとでー」と引き止められた。会うのは久しぶりだったので、まんまとその誘いに乗せられて、要冷蔵のものと要冷凍のものを手早くしまって、俺はちゃぶ台の前に腰をおろす。さっそく木下さんが横にぺとんとくっついてきた。
 十代のころは、俺が落ちこんだりへこんだりしていたときに頭や肩や背中をよしよしとかぽんぽんしてきたのは慰めだとか励ましだとか、そういう意味合いだと考えていた。今でもそういった目的の触れ合いはあるけど、でも時を経て俺は確信した。単にひっつきたいからだけだろコレ。俺を子供扱いして大人の態度で行なってたってより、自分が甘えん坊の子供になりたかったんだろ。
「俊介さんは、甘えたですか? 子供ですもんね?」
 つむじのあたりをそっとぽんぽんしたら、木下さんは嬉しそうに目を細めた。なにソレ。ナニコレ珍百景ですか。珍衝撃映像ですか。そんな笑顔ずるいだろ。
 実際のところ、俺と木下さんは、ヘヴィでディープなレベルの行為はあまり営んでいない。木下さんは今までどおりでいいと言ってくれてるけど、本心なのかわからない。物足りねーなと密かに舌打ちしているかもしれないのだ。現状、ほぼほぼプラトニックってどーなの。いいの?
 なんかの本で読んだ気がする。相手にやっていることは、自分が相手にしてほしいんだって。つーことは、俺にしてきたあれやこれやは、木下さんが俺にしてほしいことだったんだろうか。ほら現に、髪を撫でたら幸せそうにしてるし。いや、俺はそうされたら、満ち足りた気分になるなーとかいくばくか感じるだけで、こんなとろけた感じじゃないけどね?! ここはいっちょ、ギブ・アンド・テイクだ。やってやんよ!
 木下さんがふわふわとほっぺたを撫でて、俺もそっくりお返しする。「なに、俺のまねっこ?」と聞かれたけど、笑ってお茶を濁してごまかす。
「いつもだったら、『あーもうやめてくださいくすぐったいですっ』って音を上げるのに、ラリー続けるなんて珍しいじゃん」
 音を上げるって……。根競べかがまん大会じゃねーんだっての。なんてこっそりツッコミながら精を出したものの、
「ああっやっ、やだあ……。こそばい! あっ、も、だめ……」
 呼吸困難に陥り、あえなく敗退。戦線離脱。このくすぐったがりの体が恨めしい。
「ほーんと、コーキったら敏感だねーえ」
「や、やらしい言い方するなあっ」
「だーって、やっらしいもーん。俺じゃなくてコーキがだよ? えっろーい体。そーんな涙目で、はーはーあえいで、顔も全身も火照らせて、震えちゃって」
 どっちが! こっちはただ床に転がってるだけなのにそんな表現するとか! ないことないこと並べ立てて!
「ほらもう、シャツもたくし上がっちゃってお腹も背中も露出してるし。そーやって、俺をナチュラルにそそっていくスタイルなの?」
 否定したくても、まだまともにしゃべれない。こんなんじゃ、とてもじゃないけど話せない。木下さんに満足してもらいたかった、というだいそれた野望なんか。
 この人、マウントポジションを取るのうまいし、腕や脚を拘束して俺の自由を奪うのも長けてるし、絶対手馴れてる。プロの犯行だ。本来はされる側だっていう本人談も、事実なのか疑わしい。
 別にいい、俺と出会う前は誰とどういうことをしてきただとかは。七歳もひらきがあるし過去はどうしようもないものだから。今は……今も、俺が不甲斐ないんだから、誰かと遊んできたってかまわない、文句なんかつけようないしむしろ申し訳ないし。
 わかってんのに、考え出すと心の臓が苦しい。眉根が寄って唇を噛み締めるくらいに。
 と、頭をいい子いい子された。「よくがんばってくれたねえ」なんてのほほんとした声もする。
「なにが、ですか」
「俺はね、お前をいじめるの好きなの。言わなかったっけ。だから無理する必要ねーから」
 うう。俺の考え、見透かされてんだろうか。見透かされてる気がするなあ。
 でも、木下さんがしたいのなら、
「いじめて……いいですよ」
「そお? じゃあ晩ごはんのメニューの計画、先延ばしできる?」
 出し抜けに脈絡のない話題だ。
「大丈夫……ですけど」
「よかった。今日はお前、たぶん料理できねーから」
「え?」
「お前が天然なのが悪い」
「は? なに? ちょっ? ぎゃっやあああ! んー! んー!」
「いじめていい」だなんて、ついうっかり口走った俺がアサハカすぎた。撤回したくても、じたばた懸命にもがいても、スイッチ入った木下さんはきれいに華麗にスルーしてまったく許してくれなくて。下克上なんて、車のナンバープレートの「へ」と同じで存在しないものだったとは……。
 昔に戻ったみたいでほんとは胸の奥が少しほこほこするだなんて、つくづく口惜しいから絶対に絶対に言ってやんないけどもっ!

20151010
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