ふるふる図書館


後日談  アゲイン・アンド・アゲイン again and again 3



 話がさっぱり読めない。通常運転で炸裂する木下節に、俺はまんまと踊らされている。
「お前、音楽得意? 歌でも楽器でも」
 全然。
「コントできる?」
 ちっとも。
「じゃあさ、俺と店やらない?」
「……は?」
「ほらここに、元手あるから」
 いや、あの?
「あ、こんな災害が起きた日の夜に話すことじゃねーな。まあ、今すぐどうこうってことじゃないから」
「木下さん、お店やりたかったんですか……。初耳です。どんなのなんですか。木下さんなら、なにをしても成功しそうですけども。俺と、ってことは、飲食系? 別に、こんな若造と組まなくっても」
 急展開についていきかねていると、木下さんは真剣な顔をして俺の目を至近距離からじっと覗きこんだ。淡い、とろりと甘い蜂蜜みたいな色彩が記憶にあるものとそっくり同じで、俺の口はふっと動かなくなる。低くて柔らかくてとおりのよい声が、俺の耳にするりと滑りこんだ。
「ビジネスパートナーなら、後ろ指さされないよ。一緒にいたって、人生をともにしたって」
 言葉の意味を理解するより早く。血液が全身からは言うにおよばず毛細血管からも末梢血管からもよーいドンで一気に顔面に大集合した。沸騰しそうだ。ストップ高だ。
 だってそれって。それって。
「別に店でなくたっていいけど、これからユニット組んで音楽活動するのも、お笑いコンビとして芸を磨くのも向いてなさそうだもんな俺たち。選べる道はひとつだけじゃないし、まだ時間はたっぷりあるから、ゆっくり考えてみてほしいな」
 俺と一緒にいたいってこと? 人生をともにしたいってこと? 一般論を口にしただけ、じゃなくて? 誤解を恐れずに言えば、いや語弊があるかもしれないが、いやいや誤謬を犯しているのでなければ、なんだかまるでプロポ……。
 息が止まって、口元を両手で覆って、うろうろ視線をさまよわせる。上を向いて、下を向いて、ぎゅっと目を閉じて、開いて、情けないほど完璧なパニックだ。
 そこまで覚悟してくれてるなんて、ちっとも想像していなかった。この自由すぎで有能すぎる人が、俺なんかに縛られてもいいと思っているなんて。下手したら一生、俺とかかわってもいいと腹をくくってくれてるなんて。
 からからに乾いた声でもなんとか空中に押し出せるようになるまで、木下さんは見守ってくれていた、らしい(それを確認する余裕は俺には一切なかった)。
「はい。考えます。 俺、とろいからすぐに返事出せないと思うけど、それでも待っててくれますか?」
「何年でも待てるって前に言っただろ。オジサンはねー、しつこいの」
 くつくつ笑いの発作とともに別の熱いものまでこみ上げてきて、俺は頭をよしよし撫でられながら、木下さんの肩にうずめて顔を隠した。

 三月とはいえ夜は冷えこむ。木下さんとひとつのふとんにくるまり、ひとつのベッドに身を寄せて横になった。
 闇ごしに気配を探ると、空気が落ち着かないのを感じる。街が混乱しているせいか、余震がまだ続くせいか。
 あっという間に、すやすやと安らかすぎる寝息が横から聞こえ始め、昂った神経もしだいに鎮まってくる。いったい明日からどうなるんだろうという心配も、すぐそばにあるぬくもりの確かさに撫でつけられておとなしくなっていく。
 明日は自宅に帰らなきゃ。電車は動くだろうか。電話はつながるだろうか。家と家族はどうなっただろうか。気がかりはたくさんあるが、能天気な呼吸音を聞いているとなんとかなりそうな気がしてきた。
 手を伸ばして、起こさないよう用心しながら木下さんの腕に触れる。木下さんは約束と、未来の可能性のひとつをくれた。この先、また離れることがあっても、繰り返しつながり直せばいいんだ。何度でも、かかわり直していいんだ。大丈夫。
 木下さんが目をさまさないのをいいことに、俺はそっと手をつなぎ、まぶたを閉じた。
 いつか、俺にしてくれたこと、ほんのちょっとずつでもお返しするから。待っててくださいね、俊介さん。
 声に出さずに呼びかけたのに、返事するかのように俺の指がきゅっと握り返されたのを感じながら、眠りのなかにとろとろ沈んでいった。

20150920
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