ふるふる図書館


第24話  クーリング・オフ・ピリオド cooling-off period 1



 その後しばらく、木下さんに会わなかった。シフトがまったく重ならない。まさかあのとき、事務室でシフトの書き換えをしていたんじゃないかと疑いたくなるくらいだ。
 今までシフトが別でも、木下さんが先に出勤していたときは俺が売り場に入るとすぐに挨拶してくれた。あれは、木下さんがわざわざ俺の顔を見るために移動してきてたんだろうか。持ち場を離れて、別のフロアまで。
 そんな挨拶もなくなってしまうと、避けられてる可能性も考慮せざるをえなくなる。俺の家に泊まった夜に放った「待つ」っていう言葉と、翌朝寝ぼけて俺にすりよってきていた姿からかんがみるに、嫌われてはいないはずなんだけど、断言はできない。
 メールしようにも、用事がない。涼平と遊びに行った先でみやげを買おうかとも考えてはみた。そうすれば、渡すという口実で連絡するなり会うなりできる。しかしどういうものを選べばいいのかわからないしそもそも近所に出かけておみやげなんて不自然だし、で、結局なにも買わずじまい。
 いったいどこまで俺はあの人に踏みこんでいいんだろう。俺が貸した着替えを洗って返すと言ってくれたときに、断らなければよかった。話すきっかけのひとつをみすみすつぶしてしまったわけだ。
 それでも、木下さんとひょっこりばったり職場で一緒になることが皆無なわけではない。そんなとき、俺はほっぺたは勝手ににまにま綻んでしまって、機嫌よく「お疲れさまです、今日も暑いですね」などといつも通りに話をしちゃう。だって相手は木下さんだもん、そりゃあ笑っちゃうよ。この二年以上も、俺を楽しく元気にしてくれてる人なんだから。この条件反射が、ほんの一晩で崩れるはずがない。
 あの人の心はわからない。わからないけど、わからないから、おもしろい。ドキドキして飽きない。この関係をなんていうのか知らない。特別な関係なのかもしれないし、そうじゃないのかもしれないけど、関係ない。俺は満足しているし、幸せだ。いつか『ハーツイーズ』のレイさんもそんなこと言ってた気がする。
 あの夜の翌日バイト先で顔を合わせたときに感じた緊張は、すっかりきれいになくなっていた。
 そんな、クーリングオフみたいな日々が一週間ほど続いた夜のこと。
「秘技! 一宿一飯の恩義!」
 携帯が七色にちかちか光って、メールの受信を知らせていた。ぱかりと開くとそこには「木下俊介」の名前があってついにやけてしまったが、件名が何かの必殺技みたいなのでますますおかしくなった。
「泊めてくれたお礼がまだだった(=△=。) 一泊食事付きの木下家ツアーにお誘いしたいのだけど、どう?」という内容で、俺はくすくす笑いながら「行きます」と打った。送信ボタンを押してから、木下さん家に泊まったことってなかったな、まあ特になにがあるわけでもないし大丈夫だろうなんてのんきに考えたのだった。木下さんは俺に手を出してこないっていうんだから、主導権は俺にあるんだから。

 俺が早番、木下さんが休みの日、そのツアーは決行された。俺が仕事を終えて着替えて外に出ると、木下さんの車が停まっていた。一度は遠慮したのに、休みにわざわざ迎えに来てくれたなんて。ついにんまりしてしまう。
 一緒に店から歩いてきた、同じ早番だったバイト仲間の女子大生、中川さんが悲鳴じみた声を上げて俺の腕を叩いた。
「わあっ! やだ! 最近ツーショット見かけなくなったねって話題になってたんだよ! なんだあそういうことかあ!」
 は? へ? なにがどこで噂になってなにがどういうことだって? はてなマークが俺の頭上にぷかぷか浮いたが、木下さんを待たせてはならじととりあえずシビックに近寄っていくと、車から降り立った木下さんが俺に先回りしてドアを開けてくれた。背後から突き刺さる視線。物体じゃないのになんで人間に痛覚を与えることができるんだろ?
「ええこのあとなにするんですかどこにいくんですか」
 中川さんの興奮さめやらぬ質問に、木下さんは肩をすくめた。
「ふふふ、秘密。じゃあね、おつかれちゃん」
 俺も中川さんに「お疲れさまです」と手を振ったが、上の空。どうしちゃったんだろ、と俺がつぶやくと「さあね?」と木下さんはステアリングを握りながらとぼけた口調で首をかしげた。

20150815
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