ふるふる図書館


第1話 バースデー・デート birthday date 1



「ええー。シャンメリーないの、シャンメリー!」
 落ち着いた内装のフランス料理店。お子ちゃまな俺には敷居がまたぎづらい、格調高いしゃれた佇まいのレストラン。
 それなのに、ああ、ハイテンションすぎるよこの人は! そりゃ俺アルコールが駄目だけどさ、シャンメリー連呼しすぎだって恥ずかしいなあ!
「静かにしてくださいよ木下さんっ。俺、ペリエにします」
「水に炭酸入ってるだけだぞ。いいのかそれで」
「いいですそれで。お願いします」
 俺は礼儀正しくオーダーを済ませた。やけに姿勢のよいウエイターが粛々と立ち去った後、はあ、とためいきをついてしまう。
「やっぱファミレスがよかったかなあ」
「なんで?」
「浮きまくってるじゃないですか」
「お前が?」
「木下さんが、ですっ」
 手厳しく指摘したのに本人はきょとんとして「そおかあ?」なんて首をひねってる。ったく、空気読めよ。いい大人が。ちょっとむくれて俺はそっぽを向いた。
「だってさあ。前から来たがってただろこういうとこ。せっかくの二十歳の誕生日だしさ、連れてってやりたかったんだよなあ。いやだったか。気に入らないか?」
 耳を垂れた子犬のようなしおらしさに毒気もまんまとそがれ、しぶしぶ視線を戻した。待ち構えてたみたいに木下さんが俺の瞳をのぞきこんでくる。ゆらゆら揺れるロマンティックなキャンドルの明かりに色の淡い虹彩がきれいに映えて、うっかり見とれそうになってしまった。
 うう、俺はどーにも木下さんに甘い気がする。いかんいかん、ぷるぷると首を振った。
「いやじゃないです。ありがとうございます」
 ぼそりとつぶやいてぺこりと頭を下げたのは別に、照れくさい顔を隠すためじゃなくってだな!
 と心の中で誰にともなく言い訳をしているうちに飲みものがやってきた。木下さんのワインと俺のペリエだ。
 木下さんが慣れた手つきでグラスを取り上げる。うわ、なんだか大人の雰囲気だ。やべ、ドキドキしてきた。いや、だから、木下さんにじゃなくて、この場のムードにだってば!
「乾杯しようか、公葵」
 響きのやわらかな声で、まともに俺の名前を呼ぶ。どうしよう、手が震えてきた。冷房の効いた部屋でアルコールも入ってないのにほっぺたが熱い。
 木下さんがグラスを掲げて、俺のそれにかちんと合わせた。
「ルネッサーンス♪」
 ……なんで髭男爵なんだよ。なんでお笑いに走るよ。
「そーゆーことすると、俺も酒飲みますよ?」
「うわっ、うそうそ。冗談だってばあ」
 下戸の脅しに、こほんと芝居がかって咳払い。
「もとい。二十歳の誕生日、おめでとーコーキ」
「ありがとうございまーす」
 俺の指先はもう震えてなかった。一瞬でもときめいた俺が馬鹿だったんだ。くそう。
「とはいってもまだ十代なんだから、お前は飲んじゃだめだぞ」
 保護者ぶって、「めっ」と指をつきつける。
 そう、誕生日が平日だったので、祝いの席を土曜に前倒ししたのだ。
「シフトの都合、ついたんですか?」
「ん、桜田とバースデイデートするって言ったらすんなり空けてもらえたぞ」
「はあっ? だ、誰にそんなっ」
 声が思いっくそ裏返ってしまった。
「ん? 谷村に、アキラに、ジュンイチに、まああのへんみんな」
 うっそ。誰一人俺にはなにもつっこまなかったぞ? みんな陰で後ろ指さして笑ってたのか?
「なんてこと言ってくれちゃったんですか。もうバイト行けなくなっちゃうじゃないですか。で、で、で、デートなんて。もし本気にされたらどうすんですかっ」
「ほえ? ちがうのか?」
「ちがうでしょっ?」
 盛大にあわてふためく俺を尻目にこくりと優雅にワインをひとくち。待てそこ落ち着くとこか?
 木下さんは静かにグラスを置いて、俺をまっすぐに見た。
「あのさ桜田。俺はだな。誰よりも早くお前の誕生日を祝いたいと思ったんだぞ」
 めったにない真剣さをぶつけられ、俺はほんの少しひるんだ。だけど負けてる場合じゃない。俺は木下さんに立腹してんだからっ。有効な反撃をせねばならんのだ。
「ふん。藤本さんにもう誕生日プレゼントもらっちゃいましたよーだ」
「藤本に?」
 いついかなるときもペースを崩さない木下さんの表情が、微妙に変化した。しまった。言いだしっぺのくせに、おのが失言を悟って内心焦った。
「なにもらった?」
 う。ううっ。手のひらにいやな汗がにじむ。そんな質問されるのなんて、ちょっと頭を働かせればすぐに予測できるのに。ほんっと、俺って詰めが甘すぎ。後先考えてなさすぎ。自分で自分の足元に地雷敷きつめてどーする。
「本、です」
「どんな?」
「恋愛、小説……」
 うん、うそじゃないよな、うそじゃない。

20080707
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