第9話 ロンリーウルフはふりむかない。1
フロアにすっころがる桂三枝と今の俺の最大のちがい、それは桂三枝はあらかじめひっくりかえりやすい椅子に座っているのに対し、俺はまったくそうではなかったということだ。その結果、すさまじく豪快かつアクロバティックな動きになってしまった。キダムかアレグリアかサルティンバンコかってなもんだ。
当然、はなはだしい痛みを伴う。小泉内閣の改革のよーに。こりゃまちがいなく青タンできたな。若手芸人じゃねーんだ俺は。こんな体を張ったギャグなどやる必要ないし、全然自分をオイシイと思えん。
「大丈夫、コウちゃん?!」
涼平があわててひっぱり上げてくれた。
「悪い」
顔をしかめつつ立ち上がる。
制服の埃をはたいていると、木下さんが楽しそうにやって来た。
「お前、なにをそんなに動揺しまくってるわけ?」
からかいまじりの木下さんの声に、元通りに腰かけた俺ははたと考えた。そういや、なんでこんなに狼狽してんだ、俺は?
俺たちと同じテーブルの椅子にさっさと座り、俺の目をのぞきこむ。どうやら追及をゆるめないかまえだ。
「人に知られたくないよーな話でもしてたのかな? んん?」
涼平がなぜか少し赤くなった。うーんと、なんだったんだっけ。衝撃と痛覚でしゃべってた内容をぺろっと忘れた。そういえば、アントニオ猪木に気合を入れてもらおうと強烈なビンタ食らってそのまま記憶が飛んだ人がいたって話聞いたことあるな。
「だって木下さんが報復に来たのかと思ったんですもん」
「ふうん?」
木下さんの細めた瞳がますますぐぐっと寄ってくる。近すぎ近すぎ!
「こんばんは。昨日はどうも」
涼平が話しかけたおかげで、ようやく木下さんの視線が逸れた。
「こんばんは。うちのコーキをわざわざ無事に送ってくださって恐れ入ります」
アンタは俺のオカンか。
ふたりは笑顔を交わし合った。木下さん、にやにやでもへらへらでもなくてにこにこだ。激レア。
にしてもずいぶんふたりとも親密そうだな。互いのほかにはなにも目に入ってないみたい。見つめ合うふたりを眺めてたら、胸の奥が少しちくんとした。
「いえ、俺とコウちゃんの仲ですから」
「いえいえ、こちらこそ俺とコーキの仲ですから。こいつの初物もあれこれいただいちゃいましたし」
ん? 食ったっけ初物。東向いて笑った記憶ねーけど。首をひねる俺を意に介せず、ふたりはそれはそれは愛想よく会話を続行。
「いえいえいえ、こちらこそ。ついさっきも体をぴったり密着させて抱き合ってたような仲ですから」
へ? なに言っちゃってんの涼平! 電車の中でのあれは事故じゃん。ぎょっとするも、涼平も木下さんも相も変わらぬホホエミだ。あー冗談か、びっくりさせんなよ。俺ひとりうろたえて馬鹿みてーじゃん。
「いえいえいえいえ、こちらこそ。コーキの体の弱点もようく存じている仲ですから」
いきなり木下さんの指先が俺の耳の穴に差しこまれた。
「ひゃあっ!」
俺はとっさのことですっとんきょうな悲鳴を上げてしまい、恥ずかしさに真っ赤になった。
「やっ、やめっ、ちょっとっ」
木下さんの手首をつかんでひきはがそうとがんばるも、うまく力が出ない。しっぽをつかまれたドラえもんかサイヤ人状態だ。しかし弱点ってあのなー、そんなことされて顔色変えずにいられるのなんて、ケンシロウとかデューク東郷くらいしかいないだろ!
「えらく敏感でしょう。この反応も見どころのひとつで」
異議を申し立てようにも、攻防戦に気を取られてそれどころでない。
「初心者だから、まだまだ技はぎこちないけど、それが実にういういしくて。この先育てていくのが楽しみだなと、将来を嘱望しているわけですよ」
木下さん、俺を格闘家にでもするつもりか。書店勤務からトレーナーに転職するのか?
「やめてくださいってば! そもそもなんでここにいるんですか、木下さん。それに兄貴も」
「俺は木下さんに召喚されただけだから。今日は中立」
なんだそれ。気づけば勝手に兄貴も席に着いてるし。