ふるふる図書館


第26話  ジャスト・ディザイア just desire 4



「お前、早番だろ今日。とっくに上がってたじゃん」
 中番で仕事を終えて駐車場に停めてある愛車のそばに近づいたら俺がわきから立ち上がったせいで、木下さんは目をぱちくりさせた。
「すみません。話がしたかったんです」
「まさか、この暑いのに、ずっとここで待ってたわけじゃねーよな? なんか飲むか?」
「大丈夫です、近所で時間つぶしてたし、飲み物もあります」
「ならいいけどさあ。そんなとこで待ってなくても」
「だけど、俺が木下さんのこと待ってるの見られたら……」
 俺がもそもそとこたえると、木下さんは頭をかいた。
「『近くのマックで待ってます』とかメールくれりゃいいのに。そしたら迎えに行くよ?」
「いえ、悪いですし」
「そんくらい遠慮すんなよ。ほれ乗んな、送ってくから。これ上司命令な。公私混同の」
「すみません」
 結局気をつかわせてしまった。
「店長になに言われたかはだいたい想像ついてるけど。お前の口から聞いてもいいか?」
 シビックが車の流れに乗ったころ、そうたずねられて、俺はぼそぼそ白状した。木下さんが「あんのクソオヤジめ」と舌打ちする。やっぱり店長と仲がいいみたいだ。
「なんで、木下さんがいたいけな若人を弄んでポイ捨てする人みたいになってんですか」
「うげ。アイツそこまで言ったのかよ?」
 いや、言ってないかも。
「うーん。俺は人の気持ちがわかんないとこあるみたいなんだな。昔あのオッサンに人でなし呼ばわりされたし。ひどい話だよ」
 うなずける気がする。俺もそうとう、モヤモヤさせられたからなあ。
「木下さんも、店長から呼び出し食らったんですか?」
「別件でだけどね。ロンドンに転勤を言い渡された」
 ごくごくあっさりとんでもないことを言われて、俺はシートベルトをつけてるにもかかわらず、器用にのけぞってしまった。
「あ、早合点すんなよ。左遷じゃないし、お前とのことは関係ない。うすうすそーゆう気配はあったんだ。出張にだって行ったろ。まあ、わざわざお前に俺との関係をカマかけてきたのはオッサンなりに気にしてたんかもな」
 その話、もう決まりなんですか。受けるんですか。断れないんですか。いつ発つんですか。いつまで向こうにいるんですか。ひとつも言葉が外に出て行かない。俺がそばにいたら、自由奔放なこの人を縛ってしまう。別に付き合ってない、恋人どうしでもないのに。
 暗い顔しちゃいけない。深呼吸して笑顔。あたし女優になります(北島マヤ)!
「出世なんでしょ、すごいじゃないですか。行ってらっしゃい」
「うん、さんきゅ」
 木下さんはあっけらかんとうなずいた。それだけかい! と心中でつっこみつつも、みっともないことを言わなくてよかったとホッとした。きっと新天地でのことで頭が一杯なのかも。夢と希望とではちきれそうになってるのかも。俺がよけいなことをしてじゃましちゃいけない。見送るその日まで、いつもと同じように楽しくいられるようにしなきゃ。
 本人には絶対に内緒だけど、木下さんは俺のdesireなんだ。やらしいほうの意味じゃなくて。
 ちっとも凄そうなオーラを出さないけど、めちゃくちゃ有能な人。仕事をきっちりとこなせる人。日本を飛び出して才能を発揮するのがきっと向いてる人。俺が足枷になって、ここにとどめちゃいけないんだ。
 星のかけらをつかめdesire(中森明菜)。

20150919
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