ふるふる図書館


第26話  ジャスト・ディザイア just desire 3



 木下さんと職場で顔を合わせる。挨拶を交わし合って、ちょっと俺にちょっかいをかけて、俺が赤くなってリアクションするとへらへら笑って、そんな間柄。行きすぎたスキンシップはなくて健全そのものだけど、俺はやっぱり木下さんの姿が視界に入ると満ち足りた気分になって、背中をそっと目で追ったりしてしまう。
 ふたりで過ごしたとても人には言えないような恥ずかしい時間を、平常時には忘れるスキルをどうにか会得できるようになったからこそできる芸当だ。ついうっかり思い出すと生きた心地がしなくなる。あんな恥ずかしい姿を晒して、呆れられてるんじゃないか、嫌われてるんじゃないか、ドン引きされてるんじゃないかと激しく疑惑に駆られる。
 木下さんは人をいじるのが好きだ。よくぞそんなとこまでと感心するくらい、どんなにささいなツッコミの素材も見逃さない。天才的だ。バイトたち相手にからかったりでこぴんしたり頭をぽんぽんしたりすることはよくある見慣れた光景で、木下さんのまわりは笑いが絶えない。だからその中でも、なにか飛び抜けた点があるわけでもない俺が木下さんにとってモブでなくてその他大勢でもなくて特別な存在(ヴェルタースオリジナル)なのがやっぱり信じられず、不思議な心持ちになる。
 そんなある日、俺は店長に事務室に呼ばれた。ふたりきりで店長に向かい合って椅子に座るなんてほとんどなかったから、緊張してしまう。
「単刀直入に聞くね。いやがらせ受けてない? 要するにセクハラってことだけど」
 え? と固まっている俺のことをどう解釈したのか、店長は話を続けた。
「合意の上って可能性も考えたけども。十歳近く離れた学生アルバイトに社員が手出しするのは、ちょっと看過できないんだよね」
 手を出すって。昔の木下さんが俺にちょっかいかけてたことを言ってるのか? それともここ最近のことへの追及なのか? 俺の頭はぐるぐるして、どう答えていいのか混乱した。
「う、受けてません、セクハラなんて。どうしてそんなこと聞くんですか?」
「お客さまからの投書があったんだよ。僕が見たわけじゃないんだ」
「そう、でしたか。それなら、勘ちがいだと思いますよ」
 幾分か安堵して俺がそうこたえても、店長はむずかしい表情を崩さなかった。
「ま、ね。木下君もフレンドリーすぎるところあるのは知ってる。いやだったら、泣き寝入りしないでちゃんと声を上げてよ」
 まさか店長には、木下さんは馴れ馴れしすぎてバイトから煙たがれる存在として映っているんだろうか。
「木下さんは、すごく面倒見がいいんです。ちゃんと相談にのってくれるし、フォローしてくれるし、教え方も丁寧でわかりやすいし、クレーム対応も神業だし。すごく仕事ができるし」
 言い募る俺がおかしかったのか、店長は表情を和らげて「わかってるよ」とうなずいた。
「木下君とは付き合い長いからね。彼のお父さんと僕が昔なじみで、彼のことも十代のころから知ってるんだよ。だからちょっと、桜田君が心配」
 木下さんのお父さんは、大学の先生だと思う。それで本屋さんとの交流があるのかなと推測できたけど、それでなんで俺のことにつながるんだろう。きょとんとしたら店長はいたずらっぽく笑った。
「桜田君って、やさしくされるとコロッと参っちゃいそうだよねえ。俊介、そういう子の心つかむのうまいから、気をつけてね」
 心臓がどくんと跳ねた。店長が木下さんのことを名前呼びしたから? それは、子供のころから知ってるからだし、ちょっと冗談めかした忠告をしたかったからだろうし、問題ないはず。じゃあなんでこんないやな感じに胸騒ぎするんだ。誰か、木下さんに心を奪われた人がいたってこと? 木下さんがその人のことを弄んだってこと?
 だけど俺は……木下さんのハツコイで、ヴェルタースオリジナルのはずだからそんなことは……。それもうぬぼれ? 思い上がり?
「別に俺は……木下さんのことなんとも思ってないです。そんな気持ち全っ然ないですから! ただの上司です!」
「ん、わかった。問題ないならいいんだよ。時間とってすまなかったね」
 いえ、いいんです、失礼します。俺はあわあわ立ち上がって一礼して部屋を出た。そこで……木下さんと鉢合わせした。瞬間ぎくりと息を飲んだ。うわっ俺の声、大きすぎ?
「あのオッサンになんか追及されたか、吹きこまれたかしたんか? まったくやれやれだぜ」
 弁明すべきなのか、店長に言ったことは嘘だと否定すべきなのか。今にも誰かに見られそうな聞かれそうな場所でとっさに何をすべきか迷って、立ち尽くしてしまう。
「ほらほらー、辛気くさい顔すんなよお。深呼吸して、笑顔が作れるようになったら、売り場に戻れよ」
 俺の髪をくしゃくしゃとかきまわして、入れ替わりに部屋に入っていく背中にぽつりと「ごめんなさい」とつぶやくのが精一杯だった。そんな情けない詫びすらちゃんと聞こえたようで、振り向かないまま木下さんはひらひら手を振ってくれた。
 今後も、こういう思いをするんだろうか。俺みたいなのとの仲を知られたら、木下さんの不利になる。迷惑がかかる。出世コースに乗ってる人の足をひっぱるのもお荷物になるのもごめんだ。俺たちの仲を、この先ずっと否定し続けていかなきゃいけないのかな。もしかして、傷つけてしまうかもしれない。あの人を泣かせたいっていったって、こんなふうにしたいわけじゃないのに。
 考え出したら、持ち場に帰るのがますます遅れそうだった。

20150916
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