ふるふる図書館


第一章



 ユーリが彼を見つけたのは、ほんのささいな偶然だった。
 彼の、華奢ともいえる容姿は、自分に驚くほどよく似ていた。
 ただ、顔には表情がなかった。色がなかった。
 屈託なく笑ったかと思うとしかめっ面をしてみせたりと、目まぐるしく変わる顔つき、くるくるとよく動く瞳、薔薇色の頬、真紅の唇、ユーリはそういったものを持ち合わせていた。見る者をひきつけずにおかないと、十二歳になる今まで、周囲にそう教わり続けた。
 だが彼は大理石の彫像さながらだった。瞳は動かず、なめらかできめこまかな唇も頬も青ざめていた。
 血液や汗や涙などとはまるで無縁そうな、かわいた印象を抱いた。
「きみの名前は?」
 ユーリの問いかけに、彼はジュリ、とひとこと答えた。
「きみは気づいたかしら、ぼくたちはそっくりだね」
「ああ、そう。だから、何」
 ジュリの声は平淡で、どこまでもそっけなかったが、ユーリはまったく臆さなかった。
「ぼくの友達になってくれないかな、だってぼくたち生き別れた双子みたいなんだもの。素敵じゃないか」
 ジュリはしばらくの間、ユーリを見つめたのち、かすかにうなずいた。
「いいよ」
「本当? ありがとう、うれしいな」
 ユーリは晴れやかな気分でにっこり微笑んだ。

 ユーリはジュリを、自分の部屋に誘った。
 机の上には、ガラスペン、羽ペン、ブルーブラックのインクが入ったガラス壜。
 窓辺に下がった、空っぽの鳥かご。
 イーゼルに立てかけられたカンヴァス、油絵の具、木製のパレット、ペインティングナイフ。
 さまざまな国の切手。
 桃色や水色や紫色や緑色をした鉱石の結晶。
「みんな叔父さんにもらったものなんだ。叔父さんは、しょっちゅう外国に行っては、ぼくの好きそうなものをお土産にしてくれる。ぼくの知識や趣味の半分以上は、あの人からもたらされたんだよ。物知りなんだ。
 ぼくのピアノの先生でもあるんだよ。小さいころから、じっくり教えてくれたんだ。
 ぼくが特に、何が欲しいなんて口に出さなくても、あの人の買ってくるものはいつもぼくの気に入るものばかりなんだよ」
 ユーリは、つるつるしたアンモナイトの化石がつくる螺旋を指先でゆっくりなぞりながら、ジュリに語った。ジュリはほとんど声を発さなかったが、ユーリは意に介さず、途切れなく話し続けた。
「ぼくのお父さんは、ぼくが小さいころに死んだんだって。だからぼくは、お母さんと叔父さんとで住んでいるんだ。あと、犬のユンと。あとで、ユンにも会わせてあげるね。すごく賢い犬なんだ。ジュリ君、犬は好き?」
 ジュリは無言でかぶりを振った。
「そう、残念だなあ。それじゃ、魚は? ほら、きれいだろ」
 ユーリは水槽を示した。物言わずゆらゆらと、ひれを振って漂う、色とりどりの熱帯魚の群れ。
 ジュリのまなざしは、どこまでも無感動だった。魚の目に似ている、とユーリは思った。光の宿らない、うつろなまなざしに。
「音楽でも聴く? きみが気に入るようなのが、あるといいんだけど。
 ごめんね。なんだか、ぼくひとりでしゃべっている。だって、きみと会えて、友だちになれたことがうれしいんだもの」
「ピアノ」
 ジュリが短く言った。
「え?」
「弾いて」
「でも、ぼく上手じゃないよ」
「いいから」
 ユーリは隅に置かれたアップライトのピアノの蓋を、金色の鍵をさしこんで開けた。マジェンタの不織布を取り去り、ひとさし指で、白鍵と黒鍵のひとつずつを気まぐれに押さえた。
 静寂に、わずかにふるえる音色がつぎつぎに吸いこまれ、高音は天井から、低音は床からひびいてふたりを包みこんだ。
「何がいい?」
「何でも」
 ユーリは椅子にかけ、スコアなしで弾き始めた。トロイメライ。暗譜で演奏できる曲の中で、もっとも好きなシューマンの曲。夢想。幻想。子供の情景。
 曲が終わり、振り返るとジュリの姿はもうなかった。

20050301
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