時計草
時を刻む音がする。
瞳を閉ざしたぼくの肌に規則正しくしみとおる。隙間なく合わせた胸からぼくの体をふるわせる。
そうか、これは秒針の音じゃなくて。
このひとの、心音だ。
ぼくの耳にぴたりと添わせた唇が、ささやく。
「時が止まってしまえばいいのに。ずっと、可愛くてあどけない、今のままでいられればいいのにね」
階下の居間で、柱時計が一回、鳴る。
草原に行くといつも、犬はよろこんで無邪気に駆けまわる。
ぼくにたわむれかけてきて、ぼくの体に乗って、頬や手やあちこちをぺろぺろと舐める。
「くすぐったいよ」
仰向けになったぼくは背中を地面に押しつけられたまま、笑い声を上げる。
ああ、おまえは、あのひとと同じことをするんだね。閨か、草むらかの違いはあるけれど。おまえをしつけたのは、あのひとだったね。
髪を乱しながら、息をはずませながら、うっすらと涙をためながら、ぼくの指は知らず知らずのうちに服のあわせをほどいていく。前をくつろげていく。
ぼくは、そう仕込まれた。犬は、そう仕組まれた。あのひとに。
犬を連れて、ぼくは家へと帰る。少しよろめき、ふらつく足取りで。
途中、みごとな時計草の生垣を通る。
つる植物は、まるで意志あるものみたいに、近くにあるものに手をのばし、からみつき、しがみつく。
もしもぼくがここにずっと佇んでいたら、時計草はぼくを支柱にするのだろうか。ぼくの体にぐるぐると巻きつくのだろうか。すがるように、抱きしめるように、拘束するように、愛撫するように、緊縛するように。
「受難の花」。花の中心に据えられた十字架で、はりつけにされるのはいったい誰なのだろう。
あのひとの血肉は、ずいぶん冷たくなった。
ぼくは、横たわるあのひとの胸に指先を伸ばした。
その中におさめられたあのひとの時計は、ただ、あるだけ。もう、止まった。
「時計草」という名を持ちながら、じっと動かず、時を告げることをしない美しいあの花のよう。
腕を広げて、胸をさらして。
あのひとがくれた異国の蝶の標本みたいに、花のなかの十字架に、あのひとを銀のピンで留めつけたら。
なんてあのひとにふさわしいんだろう。だって、とってもきれいだから。
だけど。
あのひとがぼくにしていたように、あのひとをぼくの得物で刺し貫くことは、できなかった。
そう。あのひとに磔刑に処されていたのは、ぼくのほうだった。
花は持っていた。
臥所という十字架も。ぼくを打つ釘も。ぼくを叩く鞭も。ぼくをうがち、えぐる槍も。
――あなたが、ぼくの時計草だった――。
寝室の隅に置かれた時計草の果実から、濃密な香りがただよった。
肌に吸いつき、まつわりつき、しみつき、体内に入り込んでぼくの時を狂わせた。
ぼくをいつまでも甘くおかした。
***
この話は、3周年記念アンケートで25%の票をいただきました作品および登場人物を使っています。
どの作品がもとの種かは、秘密といたします。いろいろと核心に触れていますので……。
ご存じのかたはお楽しみください。
投票してくださったかたのために書きました。ほんとうにありがとうございました。
お気に召しますかわかりませんが、今作を捧げますので、どうぞお受け取りください。
(中心部分の子房柱を十字架に見立て、英語では時計草を「受難の花」といいます)