ふるふる図書館


砂の薔薇



 少女のころは花冠の作り方も知らないでいた。
 花を摘むのはきらいだった。弱くて、やわらかくて、もろくて、はかなくて、あっというまにしおれ、枯れ、色を失い、ごみばこに捨てなくてはならなくなる。
 だから、たっくんが外国のおみやげにくれた花は、わたしをおどろかせた。
 栗からとれたはちみつのような、濃い琥珀いろをした薔薇の花は、石でできていたのだ。
「砂漠から生まれた薔薇だよ」
 おさななじみのたっくんは、お父さんの仕事の都合で、ほんの小さなころから世界のあちこちを旅してまわっていた。わたしはたっくんから、異国の話を聞くのが大好きだった。
「どこにいっても、あちこちに、この薔薇があったんだ。砂漠のオアシスが枯れるときにできるんだって」
 オアシスの水の中の鉱物が結晶し、花びらの形になるのだと、図書館でふたりでひろげた本には書かれていた。
 オアシスが滅び、砂漠に薔薇が咲く。そのことばに強くひきつけられた。水や草木や人やらくだたちが消え、後に残った縹渺とした砂丘に一輪、砂と同じいろをした石の花がひらく。そんな光景がくっきりと、わたしの中に焼きついたのだった。
 てのひらの薔薇に耳を寄せれば、水脈のささやきや、オアシスで生活していた人の言葉が聞こえる気さえした。
 たっくんは、砂漠のようすを語ってくれた。
 どこまでも続く青い空と赤い砂。わずかな風にも形を変える丘。辛抱づよいらくだ。わずかな緑。誰もいなくなった町。絶対的な静寂が支配する、何もない、音ひとつない、ひろびろとした空間。
 わたしも見てみたいと言うと、いつか一緒に旅しようねとたっくんははにかんだように笑った。
 大きくなったらふたりで行こう。きっとだよ。

 幼い約束が果たされることはなかった。
 たっくんと双子のように結びついていたわたしは、いつしかスニーカーでなくハイヒールを、ジーンズでなくスカートをはくようになっていた。
 たっくんは相変わらず、遠い国々を渡り歩いていた。お父さんとではなくひとりで放浪するようになったところだけがちがっていた。
「結婚するの」
 たっくんが日本に帰ってきたとき、わたしは告げた。
 たっくんは呼吸をとめて目をみひらき、だけどすぐに、お幸せにね、と祝福してくれた。少しさびしそうにほほえんだその顔を見たとき、なぜたっくんへの報告をためらっていたのかを悟った。
 でもわたしは巣を作り、地に根を張る生活を選んだのだ。毎日同じ時間に家を出て、決められたとおりに仕事をし、お金をもらってきてくれる人を選んだのだ。それがわたしの幸せだと信じていた。疑いもしなかった。
 たっくんが行方不明になったと知ったのは、その数年後のことだった。砂漠に行ったまま、ついに帰ってこなかったという。
 わたしの胸に、息苦しくなるほどあざやかに、かつて思い描いた光景がよみがえった。果てしない空と砂、枯れた水の化身として花ひらく、永遠に枯れることも褪せることもない、はちみついろの薔薇たち。
 きっと、たっくんをのみこんだ薔薇も砂漠のどこかに咲いているのだ。一輪ごとに耳をあてれば、そのどれかから、たっくんのささやきが聞こえるかもしれない。あの、静かでおだやかで懐かしい声が。
 たっくんの薔薇を探しに、わたしは行くつもりだ。
 わたしをつなぎとめ縛りつけるすべてのしがらみ、安定と退屈にまみれた単調な毎日をいさぎよく捨て去って。

 わたしの胸に宿った思いはきっと、朽ちることなくいつまでも咲く。

20080105
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