ふるふる図書館


寒椿



 椿の花が好きだと彼女が言った。
 ぼくはなぜだか、あまり好きではなかった。
 しかし椿は、彼女に似つかわしい気がした。
 まっすぐな黒髪を額と背中できちんと切りそろえている、雪のような肌の彼女に。
 彼女と話をするのは、はじめてだった。
 同じクラスになったことはなかったが、顔や名前は知っていた。
 教室や廊下や校庭で強い視線を感じることがあり、振り返るといつもそこに彼女がいた。
 目が合うと、決まって即座にうつむく彼女。
 偶然だろうと思っていた。
 しかし、休みの日に、自宅の近くで彼女を見かけるようになり、不審をおぼえた。
 ぼくの家の周囲は住宅街しかなく、住人に用がなければ足を踏み入れるところではない。
 念のために確認したが、彼女の家はまるでちがうところにあったし、ぼくの家の付近には同じ学校に通っている生徒はいなかった。
 落ち着かなかった。
 同級生にも、あいつはおまえに気があるんじゃないか、と言われた。
 彼女は、ぼくに何も言わない。
 接触があれば、なぜいつもぼくの近くにいるのか直接ただすことができるのに、それもかなわないまましばらくたった日のことだった。
 放課後に委員会があって、学校を出るのが遅くなった。
 冬の日はとうに沈み、解け残った雪がたよりない外灯にうす青く浮かび上がっていた。
 ひとりでバス停に立っていると、後ろに人の気配がした。彼女だ。
 横にならんだ彼女に、ぼくは声をかけた。
「コーヒー、飲む?」
 おどろいたような顔をしてこちらを向く彼女に、ぼくは缶コーヒーをさしだした。
 委員会が終わるとき、先生が人数分買って来てくれたのだが、コーヒーのきらいな生徒がいて一本あまったのをもらったのだと説明した。
 彼女は、礼を言って熱い缶を受け取った。
 バスが来るまでの間コーヒーを飲みながら、植えこみに咲いた真っ赤な寒椿の花を眺め、たわいない話をした。
 想像していたよりも、彼女はほがらかで自然に会話がはずみ、よく笑った。
 ぼくは彼女を誤解していたらしい。
 好意を持たれているだなんて、勘違いもはなはだしいところだと思った。
 ほっとして、ぼくは彼女と別れた。

 数日後の日曜、ぼくはガールフレンドとデートした。
 ぼくにつきあっている恋人がいることを、まだ誰も知らない。
 ひとけのない夕方の公園で、ぼくたちは軽くキスをした。
 視線を感じた。首すじがちくちくした。おぼえのある、この感触。
 まさか。
 どうかしたの、とガールフレンドがたずねた。
 ぼくは首をふった。思いすごしにちがいないのだと。

 翌朝、学校へ行くとひとつの話題でもちきりだった。
 昨夜自殺したのだという。雪のような肌の彼女が。雪のつもる地面に身を投げて。
 やっぱり、見ていたのだ、彼女は。昨日。
 ぼくは、どうして椿の花が好きでないのかわかった。
 鮮やかな赤い花が雪に散るありさまが、血のしたたりを思わせるからだ。

20050820
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