鬼灯
夏休みのゆううつな行事は、父方の親戚の家に行くことだった。
例によって、父は仕事を口実に、今年も同行しないという。
「モリカワの伯母さん。ご挨拶しなさい」と、母に受話器を渡された。
「ミツルさん、またこっちに来れないんだって? 大変だねえ、忙しいんだね」
返事を「はい」にしようか「うん」にしようか迷ったのは、微妙な距離を小学生でありながらも感じていたからだった。
「カヤコさんと、ふたりだけでもおいで。ごちそう用意して待ってるからね」
猫なで声がそう告げて、電話は切れた。
「あーあ。クリコ伯母さんちに行きたかったのになあ」
母にだだをこねた。豪快に叱り飛ばされるのを覚悟のうえだったが、意外にも母は困った顔で、また今度ね、と諭した。
父方の親類の話になると、闊達な母がいつもの母らしくなくなるのが、少し不安で。
小さなちゃぶ台を囲んで、よく知らない人たちが盛り上がっている。
アルコールで顔が真っ赤だ。話すトーンも次第に大きくなってくる。
酒やたばこのにおい、どなるような声が充満しているせまい居間。
まるでわからないおとなの会話。
まるでわからないなまりと方言。
いったい何がおもしろいんだろう。
母はさっぱり楽しげでなかった。顔は笑っていたけれど。
ちっとも身のおきどころがなく、手持ちぶさただった。
すみっこにぽつんと座って、注がれたオレンジジュースをひたすら飲みつづけた。
「好きなのね、さっきからジュースばかり。家でまともに飲ませてないんじゃないの、カヤコさん。ほら、伯母さんちでたくさん飲んでいきなさいね」
母の悪口を言う伯母はきらいだ。
せっかくのお寿司の味もわからなかった。
「もう遅いですし、この子寝かせてきてもよろしいでしょうか」
母のことばに、助かったと思った。
同時に、母をひとりこの場に残していくのは気が重かった。
だからといって、年端もいかない自分がここにいたってしかたがない。
でも、これっぽっちも母の力になれない我が身がもどかしくて。
次の日も、することがなかった。あてがわれた小さな部屋で、ひたすら蒸された。
持ってきた本は、全部読んでしまった。宿題は、とうに終わってしまった。
暑さがやわらいできた夕暮れ、母と近くの神社に散歩に出かけた。
いつからか、こうしたふたりの時間が取れなくなっていたから、心がおどった。
夕やけに染まる神社には、誰もいなかった。
ほおずきが真っ赤な実をつけていた。
母は実を摘むと、中の種を出して、水で洗って口に入れた。
素朴なほおずきの笛は、静寂を縫って音を響かせた。
真似して自分もこしらえてみたが、どんなに舌を動かしたところで、うんともすんとも言わなかった。
「あはは、ぶきっちょだなあ」
「お母さんのが特別なんでしょ。とりかえっこしてよ」
交換しても、結果は同じ。
あんなに沈黙していた笛は、母にかかると威勢のよい音を飛ばした。
逆に、母の笛は、自分の口に含んだとたん、ぱったりと鳴りをひそめた。
悔しかった。
だけど、無邪気ににこにこと笛を吹き鳴らす母の顔が、まぶしくてうれしくて。
クリコ伯母さんの家に行きたい、と切に望んでいたのは、誰よりも母だったはずだ。
たったひとりの姉や、生まれ育った家が恋しかったはずだ。
クリコ伯母さんやいとこたちと遊びたい、なんて単純な理由だけだった自分とは違う。
なのに、あのときは母の気持ちを忖度することができなくて。
子どもだったのだ。