アマリリス
小学生のときにならった歌、「アマリリス」。リコーダーで演奏したりもした、懐かしい曲だ。
この詞を書いたのは、近代詩人の岩佐東一郎だということを知ったのは、最近のことだ。
そもそも「しらべ」という日本語さえもよくわからなかったのだ、当時は。アマリリスだってどんな花なのか、見たこともなかった。
アマリリスのようなメロディをかなでる、フランスのオルゴール。
名前のひびきも手伝って、可憐で可愛い花なのかと無意識のうちに思っていた。
彼女が広げてみせた通販のカタログに、さまざまな種類のアマリリスが載っていて、はじめてその花を目にした。
オレンジ、黄色、ピンクと色はさまざまだ。
おどろいたのは、その大きさだ。品種改良の結果だというが、それにしても、子供の顔くらいある。
ふたりでいたく感心しながら写真を眺めた。
注文すると、さっそく届いた。オランダ直輸入というふれこみでやってきたアマリリスの球根は、まさしくたまねぎのようにずっしりと重くまるまるとして、頼もしかった。
大きな植物は華やかでいい。春に咲くのがまたいい。
クロッカスもチューリップもヒヤシンスも、球根で、春に咲く。
大きな植木鉢に植えられた球根。楽しみだ。
家じゅうの植物という植物を管理していたのは私ではなかった。私には草木栽培の知識も腕もない。
ぜいたくを好まない彼女だが、園芸には熱中していた。アマリリスも、前からずっと育ててみたかったのだという。
しばらくたち、アマリリスを植えた人はひどい交通事故に遭った。一命はとりとめたものの、長い入院生活を余儀なくされた。
思い通りにならない体、慣れない入院生活、つらいリハビリ。
精神がささくれだち、手足がやせ細り、絶えずいらだつ彼女に会うのがつらく、私は仕事やひとづきあいを口実に、病院になかなか足を向けずにいた。
誰もかえりみず、手入れしなくなった庭には、雑草がはびこった。丈高くのびて、郵便受けまで届き、いよいよ廃墟の様相を呈してくると、近隣の住人が心配そうな目を向けるようになった。
それでも、たくさんの鉢植えの植物は、どうにか枯れずにいた。何年も何十年も手塩にかけて育てていた花が死滅しては、申し訳がたたない。
ひと冬がこうして過ぎた。
出窓に置かれていたアマリリスが、春のひざしを受けてぐんぐん生長し、みごとな花を咲かせた。あざやかなオレンジ色の大輪の花が、何輪もひらいた。
しらじらした蛍光灯、むなしく流れるテレビ番組、ひとりぼっちの食卓、おいしくない食事。
そんな荒れ果てて殺伐とした部屋の中で、人間たちの事情を何も知らぬげに、あでやかに誇らしげに。
誰よりもアマリリスの花を楽しみにしていた人が退院するころには、花は終わってしまったのだけど。
あのとき、さまざまなことから逃げてしまった私にとって、アマリリスのしらべは、やさしくて、少しにがい。