流星群がやってくる
去年の今日は、何をしていた?
去年の今日は、貴方に出会った。
流星群の数は明日の明け方にピークを迎えますと、インターネットのニュースで読んだ。
いつもこの季節になると、ペルセウス座流星群がやってくるのだという。
まるでサーカスみたい。胸をどきどき躍らせて、残像をきらきらまきちらして、幻みたいに去っていく。子供のとき、たった一度だけ、家族と一緒に見にいった。それきり二度と、サーカスは見にいかなかった。
去年の明日の明け方は、貴方とベッドのなかにいた。流星群のことなんて、てんで頭になかった。
サーカス見物のあと、家族はわかれわかれになった。まばゆい思い出ばかりをやきつけてさよならするサーカス団のように。家族にとって、あの晩が千秋楽だった。ふたたびやってくることのない。
ベッドを何度かともにしたあと、貴方は連絡をよこさなくなった。さいしょからそうなるとわかっていた。でも貴方とすごした時間がかがやいていたから、胸がひきさかれてもぎとられてこなごなにくだけて壊れそうだった。
そんな気持ちをぶつけることは、貴方をこまらせ、貴方を傷つけ、貴方を汚し、貴方を遠ざける。だからきたなくて醜い欲求を、にぎりつぶした。はらいのけた。
貴方のためにできることは、ただ、貴方の幸福を祈るしかないと思った。
貴方に、声も、吐息も、ことばも、文字も、まばたきも、ぬくもりも、存在も、届けることをしないと決めた。
なんて無力なんだろう、他人を好きになることを知らないという貴方なのに、たくさんのものをくれて、たくさんの時間を割いてくれて、なのに何もあげられない。お返しできない。報いることができない。
貴方に会うことも、貴方と肌を重ねることも、貴方には重荷で、うっとうしいだけ。
たぶん、貴方に好きになってほしかった。でもそうなったら貴方は、貴方らしくない。そんなのは、貴方じゃない。
傷も悩みも苦しみも痛みももらった。それでももしかしたら幸福だった、すべて貴方にもらったものだもの。貴方に刻まれたものだもの、いつまでも、消えない。
貴方だけにしか、痕をつけられたくない。
星が降る。
流れ星に願いをかけよう。
貴方が健やかでいられますように。笑っていられますように。ほんとうに誰かを好きになることができますように。
流れ星は突然あらわれるものだから、そのときに願いをかけるということは、よほどこころのなかにいつも抱いている望みでなくてはいけない。流れ星を見つけてから考えるのでは遅いのだから。流れ星にかけた願いがかなうのは、そのひとが常に強く望んでいることだからなんだよ。かなえるのは星ではなく、そのひと自身だ。むかし父はそう言った。
自分のことなら、星に願いを託す必要なんてないのに。だって自分さえわかっていればいいのだもの。
他人のことだから、星に願うしかない。それがとてももどかしい。
自分のことでないから、流星群がたくさんやってくるとわかっている夜に、願いをかけてもいいだろうと思う。強く強く願っていることだもの、いつだって。もしも不意に流れ星を見つけても、きっと同じことを祈るだろう、このさきずっと。
たくさんたくさん、祈ろう。何度でも。
会うことのない、父のこと。会うことのない、弟のこと。会うことのない、貴方のこと。
どうか、どこにいてもいつまでも幸せに笑っていてほしいと。
夜でも流星群のような光が降りそそぐ道を、歩いてほしいと。